井筒俊彦訳による『コーラン』を読み終える。訳者による『『コーラン』を読む』の内容を思い出しながら。この本が神との契約に関する本であること、商人文化のなかから生まれてきた宗教であること。これらを押さえながら読んでいくと、この聖典が、先行するユダヤ教、キリスト教の聖典とどういったキャラクターの違いを持つのかがわかってくる。旧約聖書や新約聖書の登場人物も盛んに登場し、さながら先行する聖典の二次創作的な雰囲気もあるのだが、あれをするな、これをするな、という戒律の盛り込み方が、とにかく多い。そして、しちゃいけないことをするとどうなるか、つまりは、神との契約不履行(というか神に対する債務不履行に近いか)の場合、どういう目に合うかまでしっかり書いてある。
ここに書かれた内容のどこまでが現代のイスラム法に反映されているのかわからないけれど、結婚・離婚に関する部分とか普通に面白い。訳者が解説で「物語性に欠けるので旧約聖書・新約聖書のようには読めない」と書いているのだが、異文化に触れるためのテクストとしてかなり興味深い本だと思う。旧約聖書の登場人物たちやイエス、聖母マリアが登場しているところを読むと、ユダヤ教、キリスト教のレガシーをどれほど引き継いでいるのかも推し量れる。
あと面白いのは、井筒がこの翻訳にどういう思いで取り組んだのか。「翻訳不可能なものをどんな風に日本語化するのかにめちゃくちゃ悩んだ」と上巻、下巻の解説で触れている。ちょっとね、この文章がまるで日本語ロック論争みたいで。そもそもコーランの翻訳自体がイスラム法で禁じられているらしいんだけれど、それを偉い学者に聞いたら「翻訳はダメだけど、コーランの日本語解説として出したら大丈夫」と言われたというエピソードも面白い。