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文化的消費活動の日記

『季刊25時』 vol.7 「特集: ぼくたちの大好きな伊丹十三。」

季刊25時 Vol.7 (ぼくたちの大好きな伊丹十三))

季刊25時 Vol.7 (ぼくたちの大好きな伊丹十三))

 

こないだイベントで立ち寄った本屋でたまたま見つけた雑誌『季刊25時』。「今日でもなく、明日でもない25時。一日が終わって、大好きな店でお酒とともに楽しみたくなるような雑誌」というコンセプトで、バーのカウンターを中心に取り扱っている小さな雑誌らしい。

第7号が、大好きな伊丹十三の特集だったので買ってみたんだけれども、素晴らしい内容で。伊丹十三の著作は、手に入るものは大部分読んでいるのだけれども、そのカッコ良さを思い出させてくれるし、名著(というか伊丹十三が超本格フランス料理を作りながら、さまざまな文化人と対談を繰り広げる奇書)『フランス料理を私と』の舞台裏が明かされたりする。

ぼくはね、伊丹さんこそ、ぼくたちのおじさんなんだと思っています。お父さんでは絶対にありませんね。いろいろな気づきを教えてくれるおじさん。いろいろな刺激をあたえてくれるおじさん。あたらしい世界の扉をあけてくれるおじさん。恰好いいおじさん。学校の勉強は教えてくれないけれど、人生の勉強はたっぷり教えてくれるおじさん。

こんな言葉がのっている。うなずくしかないし、そういえばドラマ『北の国から』に出演する伊丹十三もまさしくそういうキャラクターとして登場していた。伊丹十三が酒について綴った文章の引用から構成された「伊丹十三の呑み方。」という記事では、自分の酒の飲み方のなかにどれだけ伊丹十三からパクったものがあるのかを思い知らされたりする。なんというか、スタイルの巨人だ。改めて彼の著作を読み返したくなる。

遅めの夏休み

https://www.instagram.com/p/BRc19_vBFum/

今週一週間は遅めの夏休み、のようなものをとっていて、ずっと会社にいかずに過ごしていた。会社の人は「休み、どっかいかないの?」と尋ねるし、「せっかく休みなんだから、なんかしたら?」と妻も勧めてくれた。けれども、特別行きたいところも、やりたいこともなかった。でも、やることがないわけではない。

イベントにでたり、会社の飲み会にでたり、髪を切ったり、親知らずを抜いたり、行ったことのなかったレコード屋に足を運んだり、という用事もあった。用事がなければ、音楽を聴いたり、本を読んだり、ゴルフの練習をしたり、多肉植物の様子を眺めたり、リビングに入ってくる光の様子を眺めたり、SNSで友達とやりとりしたり、じっくりとビールを飲んだり、一度に5kmを走ったり、多肉植物の植え替えをしたり、と無数にやることがある。

それらはすべて日常的なことだけれども「長めの休暇」のなかでやろうとすると、じっくりやろう、という余裕が生まれる。多肉植物の観察なんか、1日に何度もやる。もちろん1日のなかで大きな変化があるわけではない。でも、何度みても飽きがこない。「多肉植物、眺めていると楽しいなぁ」という感想が湧いてくる。とことんのんびりしている。

真空管アンプの音

https://www.instagram.com/p/BRb_LQ0hjmc/

わたしのことをたいへんに可愛がってくださるオーディオ好きの方が組み立てた真空管アンプをいただき、早速、レコードプレイヤー(SL-1200の初代)→ フォノイコライザー → アンプ というシンプルな構成で鳴らしてみている。

audio-technica フォノイコライザー AT-PEQ3

audio-technica フォノイコライザー AT-PEQ3

 

これまでレコードプレイヤー → フォノイコライザーONKYOのネットワークCDレシーバー(CR-N755)で聴いていたんだけれど、比較すると音がすごく素直になって、空間の広がりを感じるようになった。一番大きいのは低音が控えめになったこと。これまでのCR-N755がいかに低音を強調して、いうなれば「モダン」な音に誇張されていたのかが如実に理解できる。

しばしば真空管アンプの音は「あたたかみがある」と表現される。しかし、このTU-8100というアンプはちょっと想像していたのと違った。真空管アンプの「あたたかみ」を「まろやかな音」と解釈していて、ちょっと曇ったような、中音が太い音を想像していたのだ。実際は、現代的な機械よりも解像度をクリアに感じ取れるように思った。使っていると真空管が熱を発するので、そういう意味で、あたたかい音なのかもしれない。

この特性は(真空管アンプのもっているイメージとマッチする)古いジャズの音源よりも、むしろ、新しい録音で強く感じられる。The XXとかBruno Marsとかのレコードを聴き直していたんだけれども、音が部屋のなかでより響くようになった。

音楽を聴くのがまた楽しくなりそうな感じだけれども、同時に足を踏み入れてはいけない趣味の世界に入り込んでしまいそうな気配もして怖い……。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 『ウォールデン 森の生活』

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

 
森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

 

 19世紀のなかばのアメリカ、ボストン郊外にあるウォールデン湖のほとりに小屋を建てて2年ほど自給自足をしていた人物によって書かれた本。湖の近辺に生息している生き物のことや、自然のなかでの暮らしについて書いてある。昔のアメリカでTOKIO山口達也みたいなことをやっていた人の記録みたいなものか。

こないだ読んだウルフの『フンボルトの冒険』のなかで、フンボルトから大きな影響をうけた人物としてソローが言及されている。「スズキは幼虫を呑みこみ、カワカマスはスズキを呑みこみ、漁師はカワカマスを吞みこむ。かくして存在の序列のあいだにある、すべての透き間は埋められるのである」、枯れ木のなかにひそむ幼虫を見つけてきて釣りをする漁師について触れたこの描写なんか、フンボルトの《生命の網》を彷彿とさせる。

また、印象に残るのは、その当時のアメリカの普通の人々(自然のなかに暮らしてない人)の暮らしへの批判的なまなざしであって。これがあるから、本書がクラシックなものとして残っているんだろうけれども、アンチ消費主義、というか、反資本主義というか、欲望の否定というか、そういう思想がちりばめられている。

自給自足で丸太小屋に暮らしてたら、全然お金がかからないっすよ、みなさん、家賃を稼ぐためにいっぱい働かなきゃいけなくて大変すよね(生きるために家があるんじゃなくて、家のために生きてるみたいになっちゃってませんか)みたいな。

ぼくは茶もコーヒーもミルクも飲まず、バターも新鮮な肉も食べないので、そういうものを買うために働く必要はない。また、あまり働かないからあまり食べる必要もなく、したがって食費はいくらもかからない。ところがあなたは、はじめから茶、コーヒー、バター、ミルク、牛肉などを飲み食いしているから、それを買うためには必死で働くほかはなく、必死で働けば、体力の消耗を補うために必死で食べなくてはならない

ニュースを知るために新聞とか読む必要なんか全然ない。最低限の労働をして、空いてる時間は家でホメロスとかウェルギリウスとかホンモノの古典を読んだ方がいい、ともソローはいう。「ごもっとも」とうなずく提言が多かった(そして、こうした言葉は「できるだけ働かずに生きていたい」のphaさんを思い出させる)。

が、いかんせん、我欲が強く、物欲にまみれた自分は、この生き方を「理解できるけど、まったく到達できない悟りの境地」として受け取ってしまう。ソローのような生活ができたら、どれだけ心が休まるだろう、と思うし、スーツ着て、毎日満員電車のって、上司に怒られて、一体自分の人生ってなんなんだろう、と思うこともある。けれども、いまの生活を、欲望を捨てられない。

本書を読み「森の生活」を疑似体験するぐらいが関の山、だが、それぐらいでも結構心が休まる、というか。都市の生活に飽きたときに読むと良い気分になる。

木下古栗 『グローバライズ』

 

グローバライズ

グローバライズ

 

 ちょっと前から友達がしきりにTwitterで「すごい」と言及していた作家。こないだ新刊がでていたけれども近所の本屋で売ってなかったので旧作を手に取る。たしかに、これは……すごい……。久しぶりに本を読みながら息をつけないほど爆笑する経験を持った。ちょうど中原昌也をはじめて読んだときの衝撃を反復するようだったのだが、中原の作品が最初からキレまくっている、最初からどうでも良いのに対して、木下古栗の作品は、やたらと丁寧な情景描写や人物の設定がさもマトモな印象を与えるのに、いきなりハチャメチャな断絶を味あわせてくれる。シラフだったのがだんだんおかしくなる感じじゃなくて、ゼロかイチかの感覚でマトモな世界とおかしな世界を行き来する、というか。

誕生日プレゼントとちらし寿司

https://www.instagram.com/p/BROPbythnL4/

32歳の誕生日プレゼントにニューバランスの996をいただく。こないだ上司がスーツにあわせて履いてて、それ、アローズの偉い人がやってるヤツじゃん、かっけえ、と思って、欲しくなっていた。これまで散々「いつの間にかニューバランスってオシャレになっていたよね」と違和感を表明してきたが、遂に。32歳は、こうしてアイコン的なもの、型にはまったものに身を染めて、どんどん楽になっていきたい。

https://www.instagram.com/p/BRQQ_FLhzUf/

誕生日当日の夕食。毎年ちらし寿司を作ってもらっている。今日は自分もキッチンに立ってエビの背ワタとったり殻を剥いたり、食器や調理器具を洗ったり、銀杏を割ってレンジでチンしたりした。料理研究家のアシスタントみたいに手際よく洗い物してると楽しい。

そう言えば昔「紺野さんにはニューバランスの良さがわからないですよ」とdisりまじりのあざけりをされたことを思い出す。ふんわりと包み込むような履き心地はさすが「スニーカー界のロールスロイス」だ、と思う。素足に履いて気持ち良い。

 そう、32歳になったのだった。まだ地道に英語の勉強は続けてるし(辛うじて。週に1時間ぐらい)、ちょっと前から週に5km以上をノルマにランニングを続けている。プリンス主義者としては、最新の自分がいつも最高、にしておきたい。けれども、飲んだり食べたりしたらてきめんに太るし、走ったら眠くなるし、20代のときみたいに無理が効かなくなっている。

だからこそ、経験を活かして無理をしないで、楽を目指していきたいな、と。そして、型にハマることで楽になり、型のなかで楽しくなりたい。仕事は仕事で色々やってかなきゃいけない。お祝いのメッセージをくださったみなさま、ありがとうございました。

ごちそうさまでした、の誕生日前日

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誕生日前日をすごいイタリアンで祝っていただいた。

https://www.instagram.com/p/BRN5Xj7BJau/

今日の食材。

https://www.instagram.com/p/BRN5dMUBKl7/

今日のお肉。30日間ドライエイジングのリブロース。

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佐賀の牡蠣。小ぶりな種類でクリーム感が凝縮。

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マコガレイのお刺身。ワラビ添えの春仕様。

https://www.instagram.com/p/BRN6Nv_BESy/

今日のお酒たち。

https://www.instagram.com/p/BRN6Y1jhsLX/

焼きたてフォカッチャ。これが毎回死ぬほど美味い。いくらでも食える。

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甘鯛、ふきのとう、こしあぶらのフリット。甘鯛の外はパリパリ、中はフワッとの感じが素晴らしかった。噛んだ瞬間に香りが広がるサカナ。山の幸と海の幸のコラボレーション。

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ホワイトアスパラガスのカルボナーラ仕立て。半熟卵をフォカッチャと食べたときの幸福よ……。

https://www.instagram.com/p/BRN8zw0Bvrf/

春野菜のミネストローネ。菜の花、そら豆、もち麦など。大地っぽい香りがするスープで感動的。

https://www.instagram.com/p/BRN9LAnhsMz/

30日間ドライエイジングした和牛のステーキ。これはヤバかった。熟成肉独特のナッツ香が脂にまで行き渡ってり、どこを食べても味が濃い。付け合わせのケールと芽キャベツのミックスした野菜との相性も最高。

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本日のパスタはスペシャリテのトマトと山椒のパスタでなく、トマトとブッラッータ。和牛が濃い感じだったので、最後に落ち着いた。

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デザートはパンナコッタにアマレットをかけたもの。下にイチゴを敷いてある。

誕生日前日ということで、妻にご馳走になる会。チニャーレ・エノテカはこれで3度目。毎度季節の食材を活かした料理を出していただいて、大変素晴らしい夜を過ごすことができた。ありがたい。32歳の1年も頑張ろう。