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文化的消費活動の日記

九鬼周造 『九鬼周造随筆集』

九鬼周造随筆集 (岩波文庫)

九鬼周造随筆集 (岩波文庫)

 

大変に良い随筆。九鬼周造、といえば、わたしのなかで多くの人が代表作のタイトル(『「いき」の構造』)を知っているにも関わらず、読んだことがある人は少ない本を書いた人代表、という感じなのだが、ひょっとすると随筆のほうが面白いんじゃないか、と。日本近代初期に活躍した政治家の息子で、金に苦労したことはおそらくなく、ヨーロッパに留学して、ハイデガーベルクソンと直接会ったことがある日本人。ガチガチのお坊ちゃんだし、自分でもヨーロッパ留学を「高等遊民」気分だったと書いているのだが、お金に苦労をしたことがない人にしか書けない余裕がこの随筆からは感じられるような気がする。ホンモノのエリートの文章。こういうのは限られた時代の、限られた人にしか書けない。生まれ切っての文人、というか。

ただ、複雑な家庭に生まれているんだよね。これがきっと筆者が過去を振り返ったときの、センチメンタルな、サウダーヂ的な文章の情感に影を落としているのだろう。筆者がお腹のなかにいるときから母親は父親の友人であった岡倉天心と付き合っていて、父親、母親、岡倉(母親の愛人)の三角関係のなかで幼少期を過ごしたりしている。普通、そんなんなったら父親と岡倉のあいだは絶縁するじゃないですか。よくわかんないんだけど、父親の九鬼隆一と岡倉天心って終生親交があったらしいんだよね(どういう感じなんだ……)。結局、この不倫関係が原因で、母親の波津子は精神を病み、不幸な一生を送ったことを九鬼周造は恨んでいて、大人になってから岡倉とは疎遠だったらしいんだけど。

そういうわけだから、なんか九鬼周造のなかにはどんなに楽しくても埋められないサムシングがあったんじゃないか、と思うわけ。あるいは、そういう埋められなくて寂しい、っていう感じが、美しい、っていう感覚と癒着している、っていうか。儚いもの、がっちり掴めないものを九鬼周造が「良いね」っていうときの、わかる、でも、寂しい、って感じがすごく良い。とくに秋に書かれた文章。

匂も私のあくがれの一つだ。私は告白するが、青年時代にはほのかな白粉の匂に不可抗的な魅惑を感じた。巴里にいた頃は女の香水ではゲルランのラール・ブルー(青い時)やランヴァンのケルク・フラール(若干の花)の匂が好きだった。匂が男性的だというので自分でもゲルランのブッケ・ド・フォーン(山羊神の花束)をチョッキの裏にふりかけていたこともあった。今日ではすべてが過去に沈んでしまった。そして私は秋になってしめやかな日に庭の木犀の匂を書斎の窓で嗅ぐのを好むようになった。私はただひとりでしみじみと嗅ぐ。そうすると私は遠い遠いところへ運ばれてしまう。私が生まれたよりももっと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであったところへ。

過去の美しさと、儚さ。九鬼周造の短い文章のなかに、プルースト的なものがギュッと濃縮されている。死に瀕した京都の舞妓について「美しいものをこの世から死なせたくない」と書いているのも良い。やっぱさ、何よりいいのが、金持ちだから寂しいから耐えられない! とか切実な感じがないところなのかもしれないけども。

山田俊弘 『ジオコスモスの変容: デカルトからライプニッツまでの地球論』

読了。すでに本書の紹介はおこなっており、改めて文章を書く予定もあるので、手短にここでは触れておく。17世紀の知識人による地球の捉え方をデンマーク人学者、ニコラウス・ステノを媒介として紐解いた本。超メジャー級のところでは、デカルトスピノザライプニッツといった人物に焦点があてられ、好事家向けにはアタナシウス・キルヒャーのページもある。超メジャー級の人物を扱った部分は、まさに哲学史の「地下世界」を掘るような仕事だと思うし、アリストテレスに代表される古代からの伝統や知見とコペルニクスやティコ・ブラーエによってもたらされる新説が混交したコスモロジーがどのような変化を遂げたのか(その変化のきっかけには、新大陸からもたらされた新しい発見や、イエズス会宣教師たちのネットワークによって報告される知見がある。つまりはグローバリズムの萌芽が認められる)は大変魅力的だった。

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ビール批評 キリンの新商品と修善寺ヘリテッジヘレス

https://www.instagram.com/p/BSVZUfihoJ9/

#beercritic キリン / Grand Kirin JPL グランドキリンシリーズのリニューアル。JPLはジャパンペールラガー、とのこと。毎度期待を裏切らない仕上がり。

https://www.instagram.com/p/BSVjIAhhiBB/

#beercritic キリン / Grand Kirin IPA 期待していたが、これはちょっと物足りない。苦味が穏やか過ぎて、IPAではない。旨いのだが看板に偽りあり、を感じる。

https://www.instagram.com/p/BSYO7DwhkqX/

#beercritic ベアードブルーイング / 修善寺ヘリテッジヘレス 賞味期限間近で安かった。瓶内で二次発酵するタイプなので、かなり熟成が進んだ深い味わいになっている。糖類を足してるので、かなりボディが強い。ハチミツのような甘さ。

グランドキリンIPAは期待値が高まりすぎて、やや拍子抜けだった。あと500mlの缶でも出してもらえないものだろうか……。

荒俣宏 『図鑑の博物誌』

図鑑の博物誌

図鑑の博物誌

 

荒俣宏の快著のひとつ。18世紀後半から19世紀前半のたった100年あまりの短いあいだに華開いた、動植物の美しい図版入りの本たちの文化、それがどのように成立したのか、美しい図版はどのように制作され、そして、なぜ、その文化は失われてしまったのか、という歴史的なストーリーをメインに据えているのだが、掲載されている図版を眺めているだけで楽しい。本の後半部分では、西洋のこうした図版が日本の画壇に与えた影響(秋田蘭画)にも触れられており、昔興味をもっていた日本絵画における西洋絵画の技術の流入、というテーマを思い出しもする。

しかし、鹿島茂と肩を並べるビブリオマニアにしか書けない本であるなぁ……と感心させられる。本郷の古書店で、大変貴重な博物学書をものすごく安く手にいれた、というロマンティックな話も記されている(大変うらやましい)。著者自身もおすすめしているように姉妹書『大博物学時代』と一緒に読むとなおのこと楽しいし、こないだ紹介した『フンボルトの冒険』とも関連する本。

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マイケル・ジャクソン 『スコッチウィスキー、その偉大なる風景』

スコッチウィスキー、その偉大なる風景

スコッチウィスキー、その偉大なる風景

 

ビールとウイスキーに関する権威として知られた英国のライター、マイケル・ジャクソンスコットランドを旅し、各地の蒸留所を訪れ、そこで見た風景、そこで出会った人について綴った紀行文、そこに彼が見た風景の写真が添えられている。本当に素晴らしい本で感動してしまった。ウイスキーに少しでも興味がある人にはぜひ手にとっていただきたい一冊。飲んだことのある(あるいはこれから飲むかもしれない)スコッチ・ウイスキーが、どんなところで作られていたのかをとてもよく伝えてくれる。

とくに写真が素晴らしい。どの風景も、どこか荒涼としている。あんまり賑やかな様子はない。山の中にぽつんと蒸留所の建物があるだけだったり、林の中を流れる川が写っているだけだったりする。しかし、ああ、あのウイスキーはこの川の水から作られているのか、とか、あの香りはこの海岸からくる風が影響しているのか、とか、想像力を刺激するような絵になっている。村上春樹の『もし僕らの言葉がウィスキーであったなら』という本があるけれど、あの本の視点をもっともっとウイスキー本体から遠くに置いて、スコットランドの自然から描き出そうとしているよう。水から、風から、土から、歴史から、人から。

読書は旅のようなもの、だと思うのだが、この本はウイスキーをめぐる旅を体験させてくれるような本だった。これからスコッチのシングル・モルトを飲むたびに、この本に登場するスコットランドの風景を思い出したい。酒を飲むたびに、旅に出られる。

www.dubliners.jp

余談だが、都内にお住いの方は、渋谷にこられる機会があったら、アイリッシュパブ「ダブリナーズ」に行かれると良い。カウンターに本書が置いてあるので酒を飲みながら試し読みができる(わたしはそこでこの本に出会って、その場でAmazonで注文した)。

2017年3月に聴いた新譜

今月はリオン・ウェア関連の旧譜ばっかり聴いてたんで、新譜はあんまり……と思っていたのだが、やっぱり結構な量をチェックしていた。

夜の恋人たち

夜の恋人たち

 
I WANT YOU

I WANT YOU

 

あとPrefab Sproutも聴いていた。 

Steve Mcqueen

Steve Mcqueen

 
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エミリー・オスター 『お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント』

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

 

かなり前に山形浩生さんが紹介していたシカゴ大学の女性経済学者が第一子妊娠を期に、妊活・妊娠・分娩に関する医学論文をとことん調べまくり、それに関して一般的に言われていること(たとえば、妊婦さんはカフェインをとっちゃいけない、だとか)がホントなのかどうかを検証する、という本。大変勉強になりました。「寿司や生卵についてあまり心配する必要はない」とか、「妊娠中に運動をしなくてもそんなに問題はない」とか、エヴィデンスをもとに「統計的にいったら、こういう判断ができるよ」ということが事細かに書いてある。

身近に妊婦さんがいたら、思わず(お節介を承知のうえで)書いてあることを教えたくなってしまう(が、それをわたしがやると大変に鬱陶しいことこのうえない存在になるだろう……)し、データを前にして著者がどういう判断を下したのかのドキュメンタリーにもなっていて面白い。「妊娠中に◯◯をすると(あるいはしないと)0.01%のリスクが発生する」という研究に対して「0.01%なら、◯◯しちゃってもいいや」という洗濯も取りうるし、逆に「0.01%のリスクがあるなら、◯◯は避けよう」という判断も取りうる。この本で著者がとった判断が絶対正しいものとして推しているわけではないのがフェアで良かった。あと単純に「実はその通説に根拠ないみたいだよ」とか教えてくれる部分は面白い。