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文化的消費活動の日記

根占献一 『イタリアルネサンスとアジア日本: ヒューマニズム・アリストテレス主義・プラトン主義』

イタリアルネサンスとアジア日本 (ルネサンス叢書)

イタリアルネサンスとアジア日本 (ルネサンス叢書)

 

本書のタイトル通り、イタリアルネサンスと日本との関わり、とくに人文主義アリストテレス主義・プラトン主義といった当時の知の営みがどのように日本と関わりあっていたのかを探る。とくに日本を訪れたイエズス会の宣教師たちが、日本の人々を教化する際、「霊魂は不滅であること」や「神」という概念を理解させるために奮闘する様子を面白く読んだ。異文化との出会いと摩擦で(たとえそれが誤解だったとしても)ストーリーとして魅力的なものが生まれることがある。たとえばザビエルが島津家の家紋に、イエズス会以前にも日本にキリスト教が伝来していた証跡を見出そうとした、という学研『ムー』みたいな話に魅力を覚える。

2017年5月に聴いた新譜

4月に引き続き、5月も忙しくて、もはやなにをしていたのか定かではない。Apple Musicにジャズばかり薦められてたので、ジャズばっかり聴いていた気がする。あとジョニー・キャッシュ聴いて気合をいれてました。

Legend of Johnny Cash

Legend of Johnny Cash

 
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柳澤健 『完本 1976年のアントニオ猪木』

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

 

ミュンヘン五輪でふたつの金メダルを獲得したウィリエム・ルスカ戦。もはや歴史上の人物といっても過言ではないボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリカシアス・クレイ)戦。韓国人プロレスラー、パク・ソンナン戦。そしてパキスタン最強の男、アクラム・ペールワン戦。1976年にアントニオ猪木が闘ったこれらの「極めて異常な4試合」を鍵にしたスポーツジャーナリズム。

昨年、モハメド・アリが亡くなった際にも「世紀の凡戦」として酷評された一戦の再放送がおこなわれたが、当然、本書の中心となっているのも、この一戦である。「『プロレスこそ世界最強』を標榜する猪木の理想と情熱が、このカードを実現させた」というのが、これまで語られてきたプロレスの「正史」であろう。そこを本書は「そもそも、なぜ猪木が、その『プロレスこそ世界最強』を標榜しなくてはならなかったのか」という問いまで立ち帰ろうとする。

その動機が「ライヴァルであったジャイアント馬場との関係性・確執」というところに置かれているのは驚くべき点ではない。力道山のもとでプロレスをはじめた両者のプロレス観は真っ向に対立した。「ショーとしてのプロレス」を体現するジャイアント馬場、「リアルファイトを目指す」アントニオ猪木というふたりのプロレス観の違いは、日本のプロレスの「正史」の枠組みのなかにすっぽりと収まるものだ。

「正史」的にはもともとのフィロソフィーが違うから、ふたりは対立したのが正解だろう。しかし、本書では、リング外におけるいろんな政治的な問題・権力抗争によって、なかば猪木というレスラーがプロレス界で生き抜けなくなったから「猪木のリアル路線」が誕生した、という歴史の逆読みがおこなわれる。ここが本書の目新しい部分、というか。黒い歴史にも立ち入りつつも、複雑な日本のプロレスの黎明期をかなり細かく書くことで、その逆読みのストーリーを読ませるものとしている。

「プロレスはショー」というプロレス・ファン的には「興ざめの一言」な視点で物事を語り、猪木に批判的に迫ろうとしているように見える。しかし「1976年のアントニオ猪木は、あらゆるものを破壊しつつ暴走した。猪木は狂気の中にいたのだ」と言いつつも、その「破壊」がのちの総合格闘技を作るきっかけとなった、という評価に繋げており「破壊から創造へ」という予定調和的なストーリーに収まっている。

のだが、本書の後半「韓国のプロレス史」や「パキスタンのプロレス史」を「これは一体だれを主人公とした本だったのか?」と疑問を投げかけたくなるほど詳述することで(途中でほとんど大木金太郎の本かよ、ってなる部分がある)、「リアル路線」を発明したのちの猪木が破壊したものの重みが伝わってくるのが良かった。

結局のところ、ひたすら「アントニオ猪木マジックリアリズム」を語ろうとした一冊なのだな、と。暴走する猪木の様子はガルシア=マルケスの『族長の秋』を彷彿とさせる。あと「舌出し失神KOは猪木の芝居」という記述が、「えっ、そうなの」と一番驚かされた。

ロベルト・ボラーニョ 『はるかな星』

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

 

ロベルト・ボラーニョの小説を読むのはこれが3冊目。寺尾隆吉による『ラテンアメリカ文学入門』によれば、早世したこのチリの作家の最高傑作として推されることの多い本だと言うが納得。170ページ弱の中編小説だが「架空の作家」を「ボラーニョの分身的な主人公(と「ボラーニョの分身その2」的な主人公の友人)」が追う、という構造は『野生の探偵たち』とほぼ同じであり、かなりヴォリュームのある『野生の探偵たち』のエッセンスだけを抽出したらこの一冊になるのでは、という感じがする。そして『アメリカ大陸のナチ文学』を読んだときもため息がでたが、本書も「これは俺が描きたかった小説だな……」と思ってしまった。

まず、なにより、ボラーニョの文体が素晴らしくて。乾いていて、皮肉っぽく。ある記述がおこなわれるとすぐに括弧書きでその打ち消しがリズミカルにはいる、常に二重の意識によって文章が織り成されているような(それは本作で追及されるカルロス・ビーダー、乗り込んだ飛行機によってチリの上空に詩を書いた前衛詩人であり、複数の殺人に関わったとされる人物を、主人公とその親友、ビビアーノが追っていることと無関係ではないだろう。主人公の視点と、ビビアーノの視点によってビーダーという人物が同時に観察されている)。どこまでホントで、どこからウソなのかまるでわからない、リアリズムとマジックが共存する世界観に改めて惚れてしまった。

そして、常に寂しい感じ、というか、センチな感じがある。失われてしまったもの、取り戻せないものへの憧憬。その情感が刺さることがあって(そういうサムシングが欲しくなる瞬間ってあると思うんですが)。あくまで個人的な感想として受け止めていただきたいのだが、この作品の刺さり方は村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』に似ていた。作品の要素的にも一部重なっている(主人公 ≒ 僕、ビビアーノ ≒ 鼠、カルロス・ビーダー ≒ デレク・ハートフィールド)のだけれど、とくに30代になって読み返したときの『風の歌を聴け』の印象が『はるかな星』の読後感と通じてしまうのだった。嘘まみれなんだけど、これ、純然たる青春小説じゃん、っていう。

関連エントリ

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古川日出男(訳) 『平家物語』

平家物語 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09)
 

池澤夏樹編の「日本文学全集」のラインナップのなかでもひときわ楽しみにしていたのがこの古川日出男訳による『平家物語』で、まず原本と役者の組み合わせを見知ったときに「やるねぇ、池澤夏樹」と思ったものだった。『聖家族』以来、ぱたりとこの作家の作品に手を伸ばすことはなくなってしまったが、あの踊るようなリズムの日本語で『平家物語』が「語られたら」相当に良いだろうな、と期待が高まった……のだが、読み通してみると、そこまで暴れるような感じではなくて。いや、かなり真面目に取り組んだのだな、と思って拍子抜けしてしまった(町田康訳の『宇治拾遺物語』ぐらいハチャメチャにやってくれるかと思ったんだけど)。

たしかにリズミカルな日本語、まるで香具師の口上のような文体で全編が統一されているし、また、古川日出男、というか、向井秀徳のラップのように言葉が踊る部分もある、のだが、その役者の色が濃く出ている部分が成功しているかどうか、よくわからない。個人的にはちょっとスベッてるんじゃないか、という評価。そして現代語だからって特別に読みやすいわけでもない。註もない。おびただしい種類の役職に関しての説明ぐらいあってもいいと思うし、合戦が行われた場所を記した地図とかがあっても良かったんじゃないのか。端的に言って、不親切な作りだなぁ、と。それで900ページ弱。相当な基礎体力がないと読み通せないんじゃないの。

と、いろいろ不満はあるのだが、『平家物語』、これは最高に面白い作品。

合戦シーンとか、大変なことになってるんでしょう、スリリングなんでしょう、と予想してたんですよ。那須与一の部分しか知らなかったんで。でも、ああいう戦いのなかの動きのなかの描写だけでなくて、心理描写が良くて。「どうにかして一番手に手柄を取りたい!」と味方同士で騙し合いをしたり、首を取ろうとする敵にあまりに気品があって、歳も自分の息子と同じぐらいだし、どうにも殺りきれねぇ……! って逡巡があったり。「これから死にに行くゾ、今晩が最期だゾ」って妻と話しているときに「実はいま妊娠してて……」と告げられるヤツとかもいて。グッとくる部分がいくつもある。

あと、平氏側にも、源氏側にも魅力的な人物がいて、それが物語を引っ張っている。日本の歴史を勉強したことがある人の多くが、滅ぼされた平氏は悪者で、むちゃくちゃやってたヤツらで、源氏はそれを正そうとする良いヤツら、みたいなイメージを持ってると思うんですが『平家物語』では、そのへんが複雑で。読んでいると、平氏側のほうが良いヤツいる感じがしてくるのだった。

源氏はまぁ腕っ節はものすごいツワモノ揃いなんだけども、要するに粗野で田舎者なわけ。平氏討伐で大活躍する源義経も「俺の命令が聞けないっつーのか、ア゛?」みたいな恫喝をするパワハラ野郎だし、木曽義仲もハチャメチャに強いんだけど、あまりに都での振る舞いとかお作法とかをわかってなくて不孝を買い、最後には逆賊扱いされてしまう。

対する平氏はといえば、水上でしか力を出せないんじゃないか、って感じでほぼ負けっぱなしなのだが、もう都暮らしが長いもんだから、めちゃくちゃソフィスティケイトされまくってるの。歌とか楽器とか上手いヤツがわんさかいる。源氏に追われて都を離れる前に歌の先生のところに「これ、俺が作った歌のなかでも良いヤツ選んできたんで、この戦争が終わったら先生が編む歌集にいれてくれたら、俺も死にきれます」みたいなこと言いに来るヤツとかいて。また、グッと来ちゃうんだよね。

正直、晩年の清盛が極悪なだけで(とくに父親の暴走をたしなめる役だった嫡男の重盛が早死にして以降)、基本平氏一門は良いヤツなんじゃないのか、と思うし、源氏ですごい人、源頼政ぐらいじゃないのか(この人は歌人としてもすごいし、武人としてもすごい。なにしろ、御所に出現した鵺を2度も退治している)。

ほかにも恋もあれば政治もある、マジックリアリズムみたいな描写も盛り込まれていて(壇ノ浦の合戦では大量のイルカの群があらわれ、源頼朝に助言を与える怪僧、文覚のくだりはファンタジーの連続)、こんなに盛りだくさんなエンタメ作品が古典にあったのか、と思って驚いた。古川日出男バージョンよりももっと読みやすいのがあれば、そっちをとって読まれたし。

ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝』

ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)

ギリシア哲学者列伝 上 (岩波文庫 青 663-1)

 
ギリシア哲学者列伝〈中〉 (岩波文庫)

ギリシア哲学者列伝〈中〉 (岩波文庫)

 
ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)

ギリシア哲学者列伝〈下〉 (岩波文庫)

 

ギリシアの哲学者の生涯や学説をあれこれ紹介した本。退屈な教科書めいた記述がダラダラと続くのではなく、かなり雑多な内容が含まれているのが魅力。たとえばエピメニデスを紹介した章では「羊を探しに野原にでたら、途中で57年間も眠り込んでしまい、起きたら自分の土地が一切合切なくなってて、老人になった弟だけが自分を覚えていた」みたいな浦島太郎めいたファンタジーが披露される。

その雑多具合の最もたるものが犬儒学派ディオゲネスの章だろう。「タダ酒ほどうまい酒はない」など大変に共感できる言葉もあれば、公衆の面前でオナニーにふけりながら「お腹もこんな風にこすりさえすれば満たされるといいのに」と言っていた、など奇人変人エピソードが満載。

これだけいろんな人を紹介し、長いこと読み継がれてきたのに著者のディオゲネス・ラエルティオスについては、生没年はおろか名前さえもはっきりしていない(どうやら2世紀後半に活躍した、ということになっているらしい)というのが、また味わい深いな、と。

2017年4月に聴いた新譜

4月はなんだか忙しくて。あまり新譜を追っかける余裕がなかった。そのかわりブラジルの7弦ギター奏者、ヤマンドゥ・コスタの存在に出会って彼の音源を熱心に聴いていた。ショーロ系のミュージシャンなのだが、まぁとにかく凄まじいテクニックで。情熱とブルーズのあいだに宿るサウダーヂを堪能しまくっていた。ブラジル音楽の深さを改めて知った次第。バンドリンのアミルトン・ヂ・オランダとの競演盤が素晴らしいです。

Live! by Hamilton de Holanda / Yamandu Costa (2011-07-19)

Live! by Hamilton de Holanda / Yamandu Costa (2011-07-19)

 
Mafua

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Negro Del Blanco

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Yamandú

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Ida E Volta

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Lado B

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