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文化的消費活動の日記

ロベルト・ボラーニョ 『はるかな星』

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

はるかな星 (ボラーニョ・コレクション)

 

ロベルト・ボラーニョの小説を読むのはこれが3冊目。寺尾隆吉による『ラテンアメリカ文学入門』によれば、早世したこのチリの作家の最高傑作として推されることの多い本だと言うが納得。170ページ弱の中編小説だが「架空の作家」を「ボラーニョの分身的な主人公(と「ボラーニョの分身その2」的な主人公の友人)」が追う、という構造は『野生の探偵たち』とほぼ同じであり、かなりヴォリュームのある『野生の探偵たち』のエッセンスだけを抽出したらこの一冊になるのでは、という感じがする。そして『アメリカ大陸のナチ文学』を読んだときもため息がでたが、本書も「これは俺が描きたかった小説だな……」と思ってしまった。

まず、なにより、ボラーニョの文体が素晴らしくて。乾いていて、皮肉っぽく。ある記述がおこなわれるとすぐに括弧書きでその打ち消しがリズミカルにはいる、常に二重の意識によって文章が織り成されているような(それは本作で追及されるカルロス・ビーダー、乗り込んだ飛行機によってチリの上空に詩を書いた前衛詩人であり、複数の殺人に関わったとされる人物を、主人公とその親友、ビビアーノが追っていることと無関係ではないだろう。主人公の視点と、ビビアーノの視点によってビーダーという人物が同時に観察されている)。どこまでホントで、どこからウソなのかまるでわからない、リアリズムとマジックが共存する世界観に改めて惚れてしまった。

そして、常に寂しい感じ、というか、センチな感じがある。失われてしまったもの、取り戻せないものへの憧憬。その情感が刺さることがあって(そういうサムシングが欲しくなる瞬間ってあると思うんですが)。あくまで個人的な感想として受け止めていただきたいのだが、この作品の刺さり方は村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』に似ていた。作品の要素的にも一部重なっている(主人公 ≒ 僕、ビビアーノ ≒ 鼠、カルロス・ビーダー ≒ デレク・ハートフィールド)のだけれど、とくに30代になって読み返したときの『風の歌を聴け』の印象が『はるかな星』の読後感と通じてしまうのだった。嘘まみれなんだけど、これ、純然たる青春小説じゃん、っていう。

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