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文化的消費活動の日記

もしも運動ができたなら

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息子の機嫌が悪そうなときに「U Can’t Touch This」のPVを見せてやると画面に釘付けになりゴキゲンになる。おそらく今時点で世界でもっとも若いMCハマーのファンだろう。

子供が家にいると、父親の先輩、母親の先輩のいろんな経験を聞きたくなる。こないだは子供に基礎的な運動の習い事をさせている、という人の話を聞いた。その人のお兄さんがスポーツ関係の研究をしているそうで(大学のバレー部を監督している)「兄貴が言ってたけど、人間の反射神経って3歳までに決まるらしいんだよね」と教えてくれた。

運動の習い事か、それは良いな、俺もやらせたいな、と思った。

というのも、自分がまったく運動らしい運動ができず、学校ではずいぶんみじめな思いをしたからなのだった。告白すれば、わたしは生まれてから一度も鉄棒の逆上がりに成功したことがない。小学校の体育の授業で鉄棒があったときの記憶といえば、まわりのクラスメートがみな逆上がりに成功している横で、まったく逆上がれず、ザッ、ザッと地面を蹴り、中途半端な逆上がり未満運動を繰り返し続け、はやくこの時間が終わってほしい、と願い続けたことを強烈に覚えている。

小学校のスポーツでチームを組むときには、リーダー格の人が使えそうな人を順番に自分のチームに組み入れていく仕組みがあったと思う(わたしが通っていた小学校ではその仕組みを「いる・いらない」と呼んでいた)。

いる・いらない、という調子にあわせておこなわれるジャンケンで、勝ったほうのリーダーが、次々に運動ができるクラスメートを選んでいく。わたしはいつも最後まで選ばれず、挙句、最後のジャンケンで勝ったリーダーに「いらない」とさえ言われ、最後のジャンケンで負けた側のチームに押し付けられる、そういう役回りを演じがちだった。

ずっと体育の授業は嫌いだったし、いまだに体育をサボったせいで高校を卒業できない夢を見る。つらい朝だ。いろいろ思いを巡らせていると、自分が集団行動が苦手なのも、協調性がないのも体育が苦手で嫌いだったからなのではないか、と思ってしまう。体育って体力をつけるだけでなくて、規律を体に染み込ませるためのものでもあるわけでしょう。

社会にでると集団行動ができないこと、協調性がないことで損することがたくさんある。子供には自分と同じようなみじめな思いや失敗をして欲しくない。だから、運動ができるように小さいときから準備をさせてあげたい。

もし、それでも運動ができない場合、あるいは運動ができるできないに関わらず、集団行動ができないのは生得的に決まっているようであれば「そういうタイプの人間でも、お父さんのように就職したり、結婚したり、マンションを買ったりができるから、なんとかなるよ。逆上がりできなくても大丈夫だよ」と教えてあげたい。

子供について語ることは、自分について語ることなのかもしれない。