sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

コミュニケーションと

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最近iPhoneを一番新しい機種に変えて、カメラの性能が劇的に変わったのでデジカメの出番がどんどんなくなっていきそう。息子は生後4ヶ月を過ぎて、体重が9kgぐらいある。どこに行っても「大きいね〜」と驚かれ、その度になぜだか誇らしい気持ちになる。

ここ数週間でなにかをしてあげたときのリアクションが大きくなっている。

たとえば、抱っこをしたままスクワットをしてあげたり、ブルックナーごっこ(ブルックナー交響曲第8番の最終楽章を口ずさみながら、音楽に合わせて体を軽く叩いてあげる遊び)やブルックナー踊り(同じくブルックナー交響曲第8番の最終楽章を口ずさみながら興じる奇怪な舞い)をすると、キャッ、キャッ、とそれはそれは可愛い声で笑うのだった。

息子が笑うと嬉しくなってしまって、スクワットを100回ぐらいやって筋肉痛になったり、ノドがおかしくなるほどブルックナーを歌ったりしている。

それから、口のなかで「クー」と音を鳴らす(フランス語のrをもっと口の前のほうで発音している感じの音)と、たまに息子が真似をして同じ発音をしてくる。本当は真似しているわけではないのかもしれないけれども、まるで会話をしているようで、笑わせるよりも嬉しい。ワッ、真似したッ、と驚きながら、喜んでいる。

そして同時に、なぜ、こんなこと、つまりは、自分の表現が伝わったり、それに反応があったりすることで、喜んでいるのだろう、自分は、と考えてしまう。

人類はコミュニケーションが成立することが楽しい、もっと成立させたい、と思うように、プログラミングされているんじゃないか、そのプログラムがひいては社会の成立につながっているんじゃないか、などということを強烈に意識させられる。