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文化的消費活動の日記

逸見龍生・小関武史(編) 『百科全書の時空: 典拠・生成・転位』


百科全書の時空: 典拠・生成・転位

百科全書の時空: 典拠・生成・転位

 

学生時代からゆるく興味を持ち続けている『百科全書』に関する新しい研究書が出たので手に取った。『百科全書』と言えば、18世紀にディドロダランベールらを中心に進められたフランスの百科事典プロジェクトである。浩瀚なこの書物に収められた7万を超える項目がどのような典拠をもとに執筆されたのかを分析したデータベース作成などの国際的な研究チームに参画した研究者たちが、20年以上にもわたって繰り広げられた「知の運動」に取り組んだひとつの成果が本書となる。

「百科事典」という言葉から現代の人は、なんらかの権威的なものを帯びた知のカタマリ的なイメージを抱くかもしれないが、実はそうではない。

『百科全書』は(さまざまな思想の)総合をなすものではなく、むしろ循環をなすものである。したがって『百科全書』の体系なるものを探しても無駄である。

そして、

『百科全書』とは、知の静的な総合ないし総体ではない。真理へ向かおうとする個々人の思考の運動を生み出すテクストの集積=装置である。

以上のとてもカッコ良いフレーズを引用しておこう。先日、千葉雅也の本を読み終えたばかりのわたしにとってこれらのフレーズは「動きすぎてはいけない!」という言葉を思い起こさせるばかりであるのだが、実のところ、この書物に掲載された項目のなかには、ほとんど他の時点から剽窃したような文章も収められている(そもそも『百科全書』自体が、先行するイギリス発の『チェンバース百科事典』の翻訳プロジェクトから始まっているのだが)。

まだ著作権だとか出典の明記などのルールがしっかりしていなかった大らかな時代だったとはいえ、現代の百科事典とはどうやら違った雰囲気の書物らしい。また、ある項目では典拠となった情報からはちょっと違った情報が足されたり、引かれたりして掲載されている。ただ単にほかの本からパクってくるだけでなく、改変までされているらしい。本書の研究者たちは、典拠からの『百科全書』に現れたときの距離に注目をしている。オリジナルからどう変えられているのか。ここに当時の知のあり方や執筆者の思想が現れてくる、というのだ。

引用の後者は「『百科全書』項目の構造および転居研究の概要」の冒頭に据えられた文章。この論文は「『百科全書』がどのように書かれているのか」を原文にあたっていない読者でもさっくりとつかむことができるので「はじめに」のあとに読んでおくと良いと思う。

収録論文の内容で最も心惹かれたのは「中国伝統医学とモンペリエ生気論」。現代ではレイヤーが異なるところで共存している東洋医学と西洋医学が、18世紀に交錯し、共鳴していた瞬間をうかがい知れるところが刺激的だった。

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