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文化的消費活動の日記

『DARK KNIGHT バットマン: ダークナイト』

DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS)

DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS)

 

 こないだようやくクリストファー・ノーランの『ダークナイト』三部作を全部観終えて(劇場では『ダークナイト』しか見てなかった)その流れでコミックの『ダークナイト』も読んでみた。

いったい何周遅れなんだ、という感じなのだが、これ、映画の原作じゃねーのかよ! と読みはじめて気がつく。『ダークナイト・リターンズ』と『ダークナイト・ストライクス・アゲイン』を収録。いずれも50代後半を超えたブルース・ウェインが頑張る話なのだが、まぁ「映画の原作も読んでみるか」と思って読んだ人は、なんじゃこりゃ、と思うであろう。一応、トゥー・フェイスもジョーカーもでてくるけれど。

「『ウォッチメン』にならぶグラフィック・ノベルのマスターピースのひとつ」ということだけれども、いきなりコレから入るのはキツそう。いろんなキャラクターが説明なしにでてくるし(注釈付きの冊子を適宜参照しないと全然わからない)、絵もガチャガチャしてるし、正直に言うと、あんまり好きじゃない。が、一方で、大変に現代的な話であるなぁ、と思う。その現代性は『ダークナイト』、『ダークナイト・ライジング』とも通ずる。

 とくに『ダークナイト・リターンズ』。ここでのバットマンは、ほとんどポピュリズム集合的無意識が肉体を持った姿として現実化した市民代表の「私刑執行人」のようである。バットマン自らの正義感ももちろんあるのだけれど、徹底してバットマンは市民と怒りを同化させながら、自分の行動を正当化し、モチベーションを保とうとする。ブルース・ウェインはそれでとっても気持ちよくなっているのである。

ブルース・ウェインって完全に変態じゃねえか、と思いつつ、義憤に駆られて私刑を加えようとするインターネット・ユーザーの姿とものすごく重なるよなぁ、と思うのだった。1986年に発表された作品なのだが、いまだったらバットマンTwitterエゴサしまくって叩くべき悪を見つけてるに違いない。「RTされた数だけ悪人をぶっ飛ばします」みたいなことつぶやいたりして。

バットマンの私刑執行人らしさは、公的な権力代表であり、要するにアメリカ政府の正義代表になっているスーパーマンとの抗争によってハッキリするのだが、あんまり詳しく書くとネタバレになるのでこのあたりで止めておこう。続編『ストライクス・アゲイン』は、登場人物がさらにややこしいのでキツかったのだが「悪」の存在は、『リターンズ』よりも明快。こちらもフェイクニュースとかポスト・トゥルース的なものとの戦いが描かれている。