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マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに』

 

地獄の毎日だったが粛々と読み進めていた「花咲く乙女たちのかげに」。ちょっと前に読み終えていたのだが、ブログを書く時間もなければ、気力もなかった。3巻・4巻は端的に言って「面白いですね」って感じで。前半がスワンの娘、ジルベルトとの初恋。後半は語り手が祖母とともにリゾート地、バルベックに逗留したときのエピソード。

ジル・ドゥルーズはこの作品の語り手を「狂人」と評したそうだけれども、そういう診断がされなくもないだろうな、という感じである。とくにジルベルトへの思いについて語られている部分。とくにヤバいのが語り手がもっているジルベルトのイメージと、現実のジルベルトが一致しない、という語り。語り手の行動パターンとして、というかこの小説のなかで起こる物語的な運動の大部分が「語り手がある対象について妄想や期待を膨らませる」→「現物をみてガッカリ」の繰り返しであり、この「ジルベルトのイメージが分裂している」問題もこのパターンの変奏とも言えるのだが、これって統合が失調しているんじゃないのか、って思ってしまった。

さらにヤバ面白いのは、バルベックに着いてからの語り手である。ジルベルトとの初恋から2年経過し、おそらく17歳ぐらいになっているハズ、その年頃の男子といえば、悶々とした性欲のオバケのようなものであって、語り手もその欲望に突き動かされるようにして、なんか素敵な出会いがあるんじゃないか、とバルベックの町を彷徨い歩く。そして、すれ違った美しい女性によって妄想・ファンタジーが呼び起こされまくるのであった。こうしたヤバ行動の甲斐あって、主人公はバルベックに遊びに来ている少女集団とつながりを持ち、そしてアルベルチーヌとも出会うのだが、

このように美少女たちを記憶のコレクションに加えていくところなど、まるで殺人鬼のような発想だと思ってしまう。 

バルベックでの生活は大変賑やかで、年上の友人となるサン=ルーが初登場する際の輝かしい記述や、シャルリュス男爵の饒舌さは「花咲く乙女たちのかげに」でも屈指の面白さだ。「スワン家の方へ」では、スワンに頼まれてオデットの監視役的な働きをするだけだったシャルリュス(しかもゲイだから「オデットと浮気する心配がない人」という扱い)も、ここではすごく洒脱で品のある一流の社交人として描かれる。

同一人物の小説内での評価が、時間によって大きく変わっていくのは、この小説の面白いところだ。たとえばスワンについても「スワン家の方へ」では、一流の人物として描かれているのに対して、オデットの結婚以降、評判がガタ落ちしている。その一方で、冗談を文字通りに受け取って嘲笑されがちだったコタール医師は、パリを代表する名医として評判が爆上がりしている。目まぐるしく動く株価変動のような「評価」はこの小説を読み解くひとつの観点として面白い、と思っている。

ところで、「スワン家の方へ」に収められた「スワンの恋」のラストでは、オデットに費やした時間はなんと無駄な時間だったんだ……と悲嘆にくれていたハズである。にもかかわらず、結局、スワンとオデットは娘がいて、結婚していて、なんだかんだありながらも一緒に暮らしている。あんなにハチャメチャだったのに、なんでコイツら結婚してんだよ……というのが謎で。あの悲嘆から結婚までのあいだになにがあったんだよ、と思っている。わたしが読み飛ばしてしまっているだけなのかもしれないが。スワンの結婚に関しては3巻で結構ページが割かれているものの結婚に関する決定的なエピソードについては言及がないと思うんのだが、これ、あとで説明されるのかな……。

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