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マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 第3篇 ゲルマントの方』

失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫)

失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 1 (集英社文庫)

 
失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 2 (集英社文庫)

失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 2 (集英社文庫)

 

前巻までは結構すんなりと進めた『失われた時を求めて』の再読プロジェクトであったが、仕事が忙しくて大ブレーキ。かつ、この第3篇「ゲルマントの方」は最初の難関だと思う。社交界の話とか、刊行当初はもしかしたらリアルタイムなゴシップ性すらあって価値があったのかもしれないが(ドレフュス事件の話とかさ)、21世紀の俺にはなんのことやらだし、クドクドしすぎ。なんだかわからない部分は、読み飛ばしちゃって良いんじゃないか、って思う。そう、なんだかわからない部分を読み飛ばしても、面白い部分はやってくるから……。

冒頭から語り手たち一家が、パリにあるゲルマント公爵の邸宅の一角に住まいを移していることを示される。で、語り手は自分たち一家に住まいを貸しているゲルマント公爵の妻である公爵夫人に恋をしてしまい(めぞん一刻か? ちがうか!?)、毎日、散歩にでかけ(めちゃくちゃ病弱なのに)、ゲルマント公爵夫人の馬車を待ち構えてて挨拶する、という習慣を身に付けてしまう。狂人的なストーキング。お母ちゃんからも「あんた、そういうの迷惑だから止めてよ」と言われる始末。

それでも、なんとかゲルマント公爵夫人(ちなみに、ゲルマント大公、ゲルマント大公夫人というキャラクターもこの巻では重要人物としてでてくるので、なおさらややこしい。公爵夫人はイケてる、大公夫人はそんなでもない、としっかり位置づけておく必要がある)とコンタクトを取りたい語り手は、親戚である友人、サン=ルーに「ちょっと、俺のこと紹介してよ」って頼みに行っては、サン=ルーは、サン=ルーで身分が卑しい自分の愛人との付き合いで忙しかったりして、そもそも軍人だから忙しくて、語り手に便宜を計れない。

そういうグタグタしたなかでまず面白いのは、5巻でいうならフランソワーズやジュピヤンといったド脇役。日本人の役者で言うなら、フランソワーズ = 渡辺えり、ジュピヤンは、そうだな、光石研あたりの「個性派俳優」を割り当てたくなる人物のエピソードはおかしい。そして、なんと言ってもシャルリュス男爵の強烈な印象である。彼には6巻の終わりでも救われることであろう。

そんなこんなで、5巻はキツいのだが、6巻は最初からドラマが盛り上がって最高。なにせ、語り手を溺愛していた、なおかつ、強烈なキャラクターであった語り手の祖母が、なんやかんやの面白シチュエーションで死ぬ。これが面白い。そして、その悲しみが続いているであろう頃に、語り手は、第2篇の主要舞台であるバルベックで出会ったステルマリア夫人が、どうやら成田離婚、あるいはIZAM・吉川ひなののスピード離婚みたいなことになって、良い感じで男を探してるらしいゾ、という情報を手に入れる。で、なんだかんだで、そのバツイチ夫人をデートに誘おうと画策する。

そこで現れるのが、アルベルチーヌという第2篇で「ABC」で言うところのAすら許してくれなかった女である。これ、マジで驚くね。なんの前触れもなく「え、お前!?」という感じで出てくるから。でさ、そのアルベルチーヌがだよ、バルベックではAすらできなかったのに、なんか、Aはおろか、スルスルとBまでさせてくれるわけ。このくだり、マジで最高。ホントね、5巻のウザい社交界の話とかどうでも良いですよ。そのどうでもいい話をひたすら読まされて、最高に童貞クサい「え、コイツ、ホントにアルベルチーヌだよな、あ、俺と会ってないときにいろいろあったんだろな、それって……」みたいな述懐がある。これが珠玉。キモ珠玉。

でも、最悪(最高)なのは、語り手が、もうAを拒絶されてたときよりもナイーヴじゃなくなってるわけ。過去に好きだったオンナはBまでさせてくれたけど、もう気持ちは、バツイチの、エロそうなオンナ、ステルマリア夫人に行っちゃってる。っていうか、アルベルチーヌとか、そんなに価値ないよ、だって、ステルマリア夫人のほうが……ってなっている。これだよね……。この人間に対する評価の変動、価値の変動がこの『失われた時を求めて』という作品の大河ドラマ性を形成しているのだ。そして、もうひとつのドラマ構成要素である、妄想と幻滅、という運動。ステルマリア夫人への思いが悶々と高まっていくなかで、あっさりと「ごめん、デートの話なんだけど、ちょっと都合悪いわ」っていう便りが来て、語り手の妄想には終止符が打たれる。この突然の断絶が最高に良いんだ。

これ以降、6巻の地獄。なんだかんだでゲルマント公爵夫人のサロンにお呼ばれするようになった語り手だが、すでにゲルマント公爵夫人 → ステルマリア夫人と心が移っているから、まぁ、才女であるらしいゲルマント公爵夫人と会話できても「賢者モード」状態なわけだ。そこでまたクドクドとした社交界の様子が詳述される。これはツラい。キモ面白い部分を通過してしまった俺には、小説中の小休止にしか思えない。ゲルマント家とか他の貴族の血筋の話とか、どうでも良いんだよ。

そんななか面白いのはこのクドクドした部分の時制の曖昧さであって(これは訳註でも言及されている)。ゲルマント公爵主催のパーティーに初めてお呼ばれするところから、その後、ちょいちょい呼ばれるようになったんだよね、みたいな振り返りがあったりする。時系列的には、初めてゲルマント公爵主催のパーティーに行く晩、同日に、シャルリュス男爵の家に行く予定が立っている、のだが、最初のゲルマント公爵主催のパーティー → その後ちょいちょいゲルマント公爵主催のパーティーに呼ばれてます → 曖昧な時系列の話 → 最初のゲルマント公爵主催のパーティーのあとのシャルリュス男爵の家に行く、という、行ったり来たりな時系列になっている。この時系列の曖昧さは、プルーストが意図して組み込んだものかわからないのだが「え!?」となる部分。

そして「え!?」の先に待っているのが、シャルリュス男爵の強烈なキャラクターなのだから、プルーストはこのキャラクターを一種のカンフル剤として使っていたようにしか思えない。既刊で触れられているように、男色家キャラである、この人物は。その振る舞いは、まぁ、今日で言うならば、ハラスメントによって、弱者を自分の思いのままにしようとする人そのものなんだよね。語り手は、ある種の鈍感力によって、その牙から逃れるのだが……。

6巻末では再びスワンが登場。しかし、どうやら病気にかかっているらしく……で「ゲルマントの方」は終了。ウンザリさせられながら、ちゃんと読ませる構造になっているのが、この小説のスゴいところなのかも……。

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