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文化的消費活動の日記

子母澤寛 『味覚極楽』

 

味覚極楽 (中公文庫BIBLIO)

味覚極楽 (中公文庫BIBLIO)

 

子母澤寛は昭和に活躍した作家で、本書は著者が東京日日新聞(今の毎日新聞社)の若手記者だった頃(昭和2年ごろ)にあちこちの名士に食べ物について聞いて回って書いた記事を、戦後(昭和30年ごろ)に改めて文章を直し、当時の回想を書き加えたもの。伊丹十三の愛読書だったというのだが、さすがの面白さ。冒頭から『美味しんぼ』の元ネタが飛び出してくる(シジミの粒の形を揃える、とか、箸の先を全然汚さないでご飯を食べる、とか)。

取材対象が東京在住の人なので、自然話題も当時の東京の食文化が中心となっているのだが、出てくる店名には今現在も営業を続けている大老舗も見られる(虎屋や千疋屋の主人は取材対象として登場。また森下にあった伊せ喜も名前だけ出てきて、これは何年か前に店じまいしてしまったのだけれど懐かしくなった)。基本は「どこのなにが美味い」、「どこのアレが好きだ」という話が続くのだけれども、東京の食文化の歴史をたどるようで大変興味深い内容である。震災(関東大震災のことです)のあとで、ずいぶんお店も変わっちゃった、とかね。東京の食文化には、おそらくそういう大規模な更新が何度かあるんだろうな、とか思う。次は東京オリンピックか?

個人的な関心から目を引いたのは、千疋屋の主人が「星ヶ岡茶寮の主人が、いつも一番良い果物を選んで帰っていく。あの目利きぶりはすごい」と褒めている点、別な人も「星ヶ岡茶寮は、果物だけはいつも最高に美味い」と褒めている。へー、魯山人ってそういう嗅覚の持ち主だったんだ、と思って面白かった。

また、複数の人が「ご飯は冷めたほうが美味い」と言っている点。現代においてこんなことを言う人、めったにいないと思うのだが、土井善晴先生が『おいしいもののまわり』という本(大名著)のなかで「そろそろご飯が温かければ良いという思い込みは、やめても良いのではないかと思っている」と書いているのとつながって読めた。

これは推測なのだけれど、アツアツごはんを尊ぶのは、かつては野蛮なもの、田舎じみた文化圏で見られたものだったのではないか(本書のなかでも、どっかの田舎出身の人が「ご飯はアツアツが良い」と言ってたりするのだ)。冷やご飯からアツアツへ、という「大富豪」でいうところの「革命」的価値転換はどのようにして発生したのか、このあたりの探求は今後の課題とさせていただきたい。