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淵田仁 『ルソーと方法』

 

ルソーと方法

ルソーと方法

 

東浩紀の著作を読んでいたときだったか「2020年の東京オリンピック以降にルソーがくる!」という神託めいた直観が降りてきていたのだが、そんなタイミングでTwitterで交流のある著者*1のルソー研究書がでた。 博論をもとにした本。ルソーは一切読んだことがないのだが「ルソーがくる!」という直観が確信に変わるような一冊であった。面白かったです!

全体は2部に分かれており、第1部は「認識の方法」、第2部は「歴史の方法」となっている。大きくは(タイトルにあるとおり)ルソー「と」方法であり、また、過去の研究においておこなわれた「ルソーは発生論的方法/系譜的方法をとった思想家である」と評価を「その評価、なんかまかり通ってるけれども、実際それってどういう方法だったのよ、単なるレッテルばりでしかなくない?」と問い直すものでもあろう。そこではコンディヤックを代表としたルソーに先行した思想家の方法との対比がおこなわれながら、実に今っぽい、東京オリンピック以降にくるであろう思想家、ルソーの新たな姿が浮かびあがる。

冒頭で引用されてる書簡の内容からしてルソーは「今の気分」である。ここでルソーは「命題はかなり豊富に湧き出るくせに、帰結は一向に見えないのです」、「私の頭に浮かぶのはばらばらなことばかりで、私の著書のなかで観念を結びつけるというよりは、私は山師のやり口のような〔命題の〕つなぎ方を使い、貴方がた大哲学者たちはまっさきに騙されてしまわれるのです」と告白する。

これを適当な思いつきを多動力にまかせて、それっぽく言ってみるテストしてるだけ、と曲解することも可能であろうが、当たらずとも遠からず、と言ったところかもしれない。この引用部には、コンディヤックの思想の中心となる「自同性原理」(雑な理解を提示するのであれば、AとBを結びつける際に、AとBの同一性を根拠として結びつけていく論法)を拒否するルソーの態度が示唆されている。

ルソーの態度とは、基本的には自同性原理による分析でおこなわれる一般化・抽象化の拒否であり、もう少し具体的に言えば「AとBって同じじゃないよね!!」ということである。同じじゃないから、一般化・抽象化は容易にできない。ただ、我々は一般化・抽象化を実質的におこなっている。それを可能にしているのが、理性なのであり、それは「内的感覚」からくる「それっぽくない、ソレ?」という感覚によって支えられている。無限背進に陥る推論の連鎖を切断するための理性、内的感覚。このへんも「今の気分」だ……。

本書の読みどころといえば「あとがき」も忘れてはならない。本論は短い文章によって明晰に構成された、いわばザッハリッヒな論述が続くのだけれども、あとがきがエモい。著者の学問遍歴が物語的に語られているのだが、エモすぎる。先ごろ復活を果たしたNumber Girlの『シブヤROCKTRANSFORMED状態』に収録された「Super Young」*2において間奏とともに聞くことのできる向井秀徳の語りのオマージュが認められる。前代未聞であろう。アサヒスーパードライを飲みながら、ズレた眼鏡をかけなおしながら読まれるべき本である。

*1:たしか東大で開かれたヒロ・ヒライさんの特別講義後に一度だけ飲んだ記憶がある。その際、学年が同じ、ということが判明し、音楽の趣味が似ているのでちょいちょいやりとりさせていただいている

*2:いま気づいたが、これ Superchunkをもじった曲名なのか?