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文化的消費活動の日記

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 『ウォールデン 森の生活』

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈上〉ウォールデン (岩波文庫)

 
森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

森の生活〈下〉ウォールデン (岩波文庫)

 

 19世紀のなかばのアメリカ、ボストン郊外にあるウォールデン湖のほとりに小屋を建てて2年ほど自給自足をしていた人物によって書かれた本。湖の近辺に生息している生き物のことや、自然のなかでの暮らしについて書いてある。昔のアメリカでTOKIO山口達也みたいなことをやっていた人の記録みたいなものか。

こないだ読んだウルフの『フンボルトの冒険』のなかで、フンボルトから大きな影響をうけた人物としてソローが言及されている。「スズキは幼虫を呑みこみ、カワカマスはスズキを呑みこみ、漁師はカワカマスを吞みこむ。かくして存在の序列のあいだにある、すべての透き間は埋められるのである」、枯れ木のなかにひそむ幼虫を見つけてきて釣りをする漁師について触れたこの描写なんか、フンボルトの《生命の網》を彷彿とさせる。

また、印象に残るのは、その当時のアメリカの普通の人々(自然のなかに暮らしてない人)の暮らしへの批判的なまなざしであって。これがあるから、本書がクラシックなものとして残っているんだろうけれども、アンチ消費主義、というか、反資本主義というか、欲望の否定というか、そういう思想がちりばめられている。

自給自足で丸太小屋に暮らしてたら、全然お金がかからないっすよ、みなさん、家賃を稼ぐためにいっぱい働かなきゃいけなくて大変すよね(生きるために家があるんじゃなくて、家のために生きてるみたいになっちゃってませんか)みたいな。

ぼくは茶もコーヒーもミルクも飲まず、バターも新鮮な肉も食べないので、そういうものを買うために働く必要はない。また、あまり働かないからあまり食べる必要もなく、したがって食費はいくらもかからない。ところがあなたは、はじめから茶、コーヒー、バター、ミルク、牛肉などを飲み食いしているから、それを買うためには必死で働くほかはなく、必死で働けば、体力の消耗を補うために必死で食べなくてはならない

ニュースを知るために新聞とか読む必要なんか全然ない。最低限の労働をして、空いてる時間は家でホメロスとかウェルギリウスとかホンモノの古典を読んだ方がいい、ともソローはいう。「ごもっとも」とうなずく提言が多かった(そして、こうした言葉は「できるだけ働かずに生きていたい」のphaさんを思い出させる)。

が、いかんせん、我欲が強く、物欲にまみれた自分は、この生き方を「理解できるけど、まったく到達できない悟りの境地」として受け取ってしまう。ソローのような生活ができたら、どれだけ心が休まるだろう、と思うし、スーツ着て、毎日満員電車のって、上司に怒られて、一体自分の人生ってなんなんだろう、と思うこともある。けれども、いまの生活を、欲望を捨てられない。

本書を読み「森の生活」を疑似体験するぐらいが関の山、だが、それぐらいでも結構心が休まる、というか。都市の生活に飽きたときに読むと良い気分になる。