池澤夏樹編の「日本文学全集」のラインナップのなかでもひときわ楽しみにしていたのがこの古川日出男訳による『平家物語』で、まず原本と役者の組み合わせを見知ったときに「やるねぇ、池澤夏樹」と思ったものだった。『聖家族』以来、ぱたりとこの作家の作品に手を伸ばすことはなくなってしまったが、あの踊るようなリズムの日本語で『平家物語』が「語られたら」相当に良いだろうな、と期待が高まった……のだが、読み通してみると、そこまで暴れるような感じではなくて。いや、かなり真面目に取り組んだのだな、と思って拍子抜けしてしまった(町田康訳の『宇治拾遺物語』ぐらいハチャメチャにやってくれるかと思ったんだけど)。
たしかにリズミカルな日本語、まるで香具師の口上のような文体で全編が統一されているし、また、古川日出男、というか、向井秀徳のラップのように言葉が踊る部分もある、のだが、その役者の色が濃く出ている部分が成功しているかどうか、よくわからない。個人的にはちょっとスベッてるんじゃないか、という評価。そして現代語だからって特別に読みやすいわけでもない。註もない。おびただしい種類の役職に関しての説明ぐらいあってもいいと思うし、合戦が行われた場所を記した地図とかがあっても良かったんじゃないのか。端的に言って、不親切な作りだなぁ、と。それで900ページ弱。相当な基礎体力がないと読み通せないんじゃないの。
と、いろいろ不満はあるのだが、『平家物語』、これは最高に面白い作品。
合戦シーンとか、大変なことになってるんでしょう、スリリングなんでしょう、と予想してたんですよ。那須与一の部分しか知らなかったんで。でも、ああいう戦いのなかの動きのなかの描写だけでなくて、心理描写が良くて。「どうにかして一番手に手柄を取りたい!」と味方同士で騙し合いをしたり、首を取ろうとする敵にあまりに気品があって、歳も自分の息子と同じぐらいだし、どうにも殺りきれねぇ……! って逡巡があったり。「これから死にに行くゾ、今晩が最期だゾ」って妻と話しているときに「実はいま妊娠してて……」と告げられるヤツとかもいて。グッとくる部分がいくつもある。
あと、平氏側にも、源氏側にも魅力的な人物がいて、それが物語を引っ張っている。日本の歴史を勉強したことがある人の多くが、滅ぼされた平氏は悪者で、むちゃくちゃやってたヤツらで、源氏はそれを正そうとする良いヤツら、みたいなイメージを持ってると思うんですが『平家物語』では、そのへんが複雑で。読んでいると、平氏側のほうが良いヤツいる感じがしてくるのだった。
源氏はまぁ腕っ節はものすごいツワモノ揃いなんだけども、要するに粗野で田舎者なわけ。平氏討伐で大活躍する源義経も「俺の命令が聞けないっつーのか、ア゛?」みたいな恫喝をするパワハラ野郎だし、木曽義仲もハチャメチャに強いんだけど、あまりに都での振る舞いとかお作法とかをわかってなくて不孝を買い、最後には逆賊扱いされてしまう。
対する平氏はといえば、水上でしか力を出せないんじゃないか、って感じでほぼ負けっぱなしなのだが、もう都暮らしが長いもんだから、めちゃくちゃソフィスティケイトされまくってるの。歌とか楽器とか上手いヤツがわんさかいる。源氏に追われて都を離れる前に歌の先生のところに「これ、俺が作った歌のなかでも良いヤツ選んできたんで、この戦争が終わったら先生が編む歌集にいれてくれたら、俺も死にきれます」みたいなこと言いに来るヤツとかいて。また、グッと来ちゃうんだよね。
正直、晩年の清盛が極悪なだけで(とくに父親の暴走をたしなめる役だった嫡男の重盛が早死にして以降)、基本平氏一門は良いヤツなんじゃないのか、と思うし、源氏ですごい人、源頼政ぐらいじゃないのか(この人は歌人としてもすごいし、武人としてもすごい。なにしろ、御所に出現した鵺を2度も退治している)。
ほかにも恋もあれば政治もある、マジックリアリズムみたいな描写も盛り込まれていて(壇ノ浦の合戦では大量のイルカの群があらわれ、源頼朝に助言を与える怪僧、文覚のくだりはファンタジーの連続)、こんなに盛りだくさんなエンタメ作品が古典にあったのか、と思って驚いた。古川日出男バージョンよりももっと読みやすいのがあれば、そっちをとって読まれたし。