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文化的消費活動の日記

高橋ユキ 『暴走老人・犯罪劇場』

暴走老人・犯罪劇場 (新書y)

暴走老人・犯罪劇場 (新書y)

 

傍聴ライター、高橋ユキさんの新刊。凶悪犯罪で裁かれる「アウト老(アウトロー。要するに高齢の犯罪者だ)」たちを追う。高橋さんの記事はよくネットで読ませていただいるのだけれど「そこに注目する?!」とか「そのツッコミ最高」とか思わされて、そのセンスに毎回脱帽してしまう。本書も高橋さんの目の付けどころが最強に最高だし、大変面白く読んだ。裁判の傍聴マニアがいることをわたしはほとんど高橋さんの文章を経由してしかしらないが、傍聴のために早起きして並んだり、遠出したりする情熱をかけられるエキサイティングな趣味なんだろうな、と推察できる。

ここで取り上げられているアウト老の多くが金銭的なトラブルをきっかけに殺人や放火を犯し、そして裁判では「覚えていない」とか「忘れちゃった」とか老いアピールでうまいことその場を凌ごうとしたりしている。裁判所という舞台で極端に「年をとってアレになってしまった人」の個性が発揮されまくってしまっている。

とはいえ、ここに出てくるアウト老たちは「遠い世界にいる理解しえない他人」ではない。50歳オーヴァーの人たちと接していると、ものすごく被害妄想が強い人や、普段は温厚なのにいきなり怒りが沸点に達してまわりを困惑させる人に出会ったりする。それゆえに、日常の延長線上に、本書のアウト老たちがいるような気がしてならない。そして、そうした老人に自分もなりえなくはないことに恐ろしさを感じてしまう。

また本書を読みながら思い出したのは、昔読んだ『イェルサレムアイヒマン』のこと。

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筆者が、経営しているコンビニに強盗を装って押し入り、因縁がある従業員を刺殺したオッサンと手紙をやりとりをした、というくだり。そのオッサンは「コンビニの弁当に使われている添加物は人体に悪いんじゃないか、その危険性を社会に広く知らせてくれ!」と嘆願してくるのである。殺人を犯した人物からこのような願いをめちゃくちゃにアピールされて筆者は困惑する。この困惑が実に「アイヒマン」的だな、と。

アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。

なお、蛇足的な説明だが、アイヒマンは、第二次世界大戦中のドイツで、ユダヤ人を強制収容所に移送する「業務」の責任者を担っていた人物。