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文化的消費活動の日記

本と豊かさについて

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生後5ヶ月を超えた。いままでまったく反応がなかった一人遊び用のおもちゃに手を伸ばすようになったり、お腹が空くと口からとめどなくヨダレを流すようになったりしている。妻によれば、もうすぐ離乳食をはじめる、ということだ。ヨダレはその準備が整ったサインらしい。

ぐりとぐらのおきゃくさま (ぐりとぐらの絵本)

ぐりとぐらのおきゃくさま (ぐりとぐらの絵本)

 

クリスマスには絵本を買ってあげた。「ぐりとぐら」は3歳ぐらいのこども向けのシリーズだから息子には、まだまだ全然早いのだが、福音館書店の子供向け絵本のガイドには「はじめはわかるとかわかんないとかじゃなく、本は面白いんだよ、っていうことを伝えるのが大切」と書いてあった。要するに、親が楽しんで読んで聞かせられるようなものを買え、ということと理解している。

本屋をでた瞬間に思い浮かんだのは「買わなくても良いんじゃないか、図書館で良いんじゃないか」という疑問であった。幸い近くに図書館もあるわけだし。こないだの日記を読んだ人から「子供のものはレンタルで済ませる」、「いらなくなった人から譲ってもらう」という声をいただいたのを思い出しもする。一理ある。そのほうが合理的であるようにも思う。本を買う金を別なところにまわせるわけだし。

歩きながら考えた。そして「本が家にあること、ってひとつの豊かさの象徴だよな」ということに改めて気づいたのだった。学生時代の講義にでてきた社会学者のブルデューが似たようなことを書いていた気がする。家に本を買うお金があること、家に本を置く場所があること。余裕、スペースがなければ、本は買えないのである。それゆえ「本が家にある家は豊かだ」と言える。本の買いすぎで貧乏になるケースはさておき。

息子を貧しい環境で育てたくない。だから本は買っていくゾ、と心に決めた。今日はそういう日。でも、俺が大好きな「本を買う」というフェティッシュな行為の正当化に過ぎないかもしれない。