今時の大学生は中上健次なんか読むんですかね、という疑問が浮かぶときがある。
今時の大学生と触れあう機会なんかないので、そのへんの答え合わせはできていないままなのだが、ひょっとして、ひょっとするとわたしぐらいの年代が「中上健次の死とともに日本文壇も死んだ」みたいな言説に影響をうけて「へぇ、そんなにすごい作家なんだ」って読むきっかけをもった最後の世代なのかも、と思う。なぜか本も手に入りにくいし、このまま忘れられた作家になるのかねぇ。しかし、享年46歳ってはえーな……長生きしてたら、もっとすげえ作家になったのかもね、と思っていた。
が、しかし、古本屋でたまたま入手したこの中上健次のエッセイ集は「ん〜、ひょっとすると今の時代まで生きてても、生き残れなかったかも……」と大きく評価が変わるぐらい微妙な本だった。小説家としてデビューする前に書いていた文章から、有名な『破壊せよ、とアイラーは言った』、そして書評や音楽批評など、いろいろ集まっているのだが、どの文章も今読んで面白いものではない。
こんなに価値が目減りしている文章を残した作家もなかなかいないんじゃないのか。中上健次による『ダンス・ダンス・ダンス』の書評とか「え、そんなのあるの?」と思って読みたくなるじゃないですか、ちょっとは。でも、これはないんじゃないの、っていう出来栄え。
作家が生きていた時代を感じさせるし、リアルタイムの中上健次がどういう立ち位置で活動していたのかを窺えるのはちょっと面白い(『週刊プレイボーイ』で連載持ってたりしたんだな……)。あと、肉体労働者あがりですよ、という感じで書いていた人がどんどん知性を身につけていくプロセスが感じられる部分があったりする。でも、繰り返すように、全然面白くない……。坂本龍一に言及した文章の書き出しなんかこんな感じ。
おそらくRYUICHIほど、TOKYOのなかでミステリアスなミュージシャンはいない。
これが1985年の文章……。ある意味では、最高かもしれない。