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文化的消費活動の日記

岸政彦 『マンゴーと手榴弾: 生活史の理論』

 

マンゴーと手榴弾: 生活史の理論 (けいそうブックス)

マンゴーと手榴弾: 生活史の理論 (けいそうブックス)

 

フィールドで収集した「語り」は、どのように扱われるべきなのか、そしてそれは「何」なのかを問う。これまで読んだ岸政彦の著作でもっとも理論的、というか専門的な内容であり、正直、収集したエピソードの面白さ、というか強烈さを楽しみにしていた一読者としては、そうした学術的な問いかけは大部分どうでも良いし、難しい、と思ってしまった。

本書において、著者は統計などを用いた量的調査に対して、質的調査は、学問的な確からしさに欠ける、そうした通念を覆しにかかっている。著者自身、出会ったインタヴュイーを「代表性がない」と認める。というか、代表性の確保は不可能である、と言ってしまう(たとえば、沖縄戦の生き残りの代表を選べるのか?)。しかし、だからと言って学問的に無意味なものではないし、代表性がないからと言って無視できるものではない。だって、その語り、そしてその語りを行なった人物は、そこに存在するんだもん、という開き直りみたいな態度は、千葉雅也の「アンチ・エヴィデンス」や、シャマランの最新作『ミスター・ガラス』とも通じている、かもしれない。