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文化的消費活動の日記

慎改康之 『フーコーの言説: 〈自分自身〉であり続けないために』

 

フーコーの言説 (筑摩選書)

フーコーの言説 (筑摩選書)

 

本のタイトルどおり。フーコー研究・翻訳の第一人者がフーコーの言説を丁寧に読み解く……のだが、すみません、わたしにはこれは難しかった。インターネットで評判を検索したら「わかりやすい」、「明晰だ」という良い評判ばかり見つかり、自分が残念に思えて仕方なかったが、この本、読者が相当に「現代思想慣れ」していなければ、難しくないですか。わかる部分もあるのだが、わからない部分が多い。「思考の全貌」が本書によって明るみに出される、と帯にはあるのだが、これも本当か。フーコーの言説を丁寧に読むことで、フーコーの思考の存在論的なコアの部分を明らかにしている、というのが正確なところなのでは。これを「わかりやすい概説書」として紹介するのはどうかと思う。ちょうどこないだフランクフルト学派の本を紹介したときにも同じようなことを思ったが(こっちはわたしにもわかった)。

とりあえず、わかったのは初期のフーコーは、掴まえようとすると逃げてしまうサムシングを追いかけようとしていた、けれども「見えている部分と見えていない部分が物事にはあって、その見えていない部分を追いかけようとするとスルリと逃げちゃう」というような本質へのアクセス不可能性、みたいなもの自体が歴史的に構成されたものなんだよ、という指摘にたどり着く。そこから『監獄の誕生』、『性の歴史』へ……とフーコー自身が過去の自分から遠くへ遠くへと行こうとするプロセスがあったのだ、というぐらい。これすらも自分のわかっていなさの表明にすぎないのかもしれない。難しいなぁ。もうちょっと別なフーコー入門を読んでみるか……?