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『ヒューム読本』

 

ヒューム読本

ヒューム読本

  • 発売日: 2005/04/01
  • メディア: 単行本
 

 「ポスト・東京2020の時代にはヒュームとルソーがくる」。2019年ぐらいからそんな直観があったのだが、オリンピックの代わりにコロナが来てしまい、東京2020は未完のプロジェクトになりそうな今日この頃だ。イギリスの哲学者、ヒュームについては千葉雅也の『動きすぎてはいけない』でもドゥルーズのヒューム主義について取り上げられていたし、また、メイヤスーの『有限性の後で』でも大きくフィーチャーされている。再評価が著しい……のかどうかは業界外部にいる門外漢であるわたしにはわらからないが、この『ヒューム読本』を読んでみても、彼が取り組んだトピックの現代性は興味深いものがある。

研究案内は親切でヒューム初学者にはとても良い本だと思うのだが、記述や要求される前提知識はある程度哲学の教養が要求される。ゆえにもう少し一般向けに彼の議論を紹介するものがあっても良い気がする。ヒュームの因果性や意思に関する議論だけでも。本書でもこのトピックがもっとも興味をひいた。

人間が出来事が生じた原因を因果的に考えられるのは「一方の出来事が現れると他方の出来事が未来に現れるであろう」という「信念」が発生するからだ、とヒュームは説く。過去の観察の積み重ねによって、経験的に信念が形成されるのであって、因果性を支える大きな力のようなものは彼は想定していない。また、信念をもとに行われる未来の推論とは「過去こうなっていたから、将来はこうなるだろう」という未来へ過去をそのまま投射することに他ならない。

しかしながら、原因には必ず結果が存在していることは確かだ。原因がなくなにか出来事がおこることはありえない。原因がなくなにかが偶然おこるとしたら、それはその観察者が無知であったからに他ならない。そのように考えたヒュームが自由意志をどう記述したのか紹介している部分を本書のハイライトとしてあげておきたい。

なお、中公の『哲学の歴史』第6巻では、本書の編者である中才敏郎が「ヒューム」の項目を執筆している。これもコンパクトで良い内容だと思う。

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