現代音楽への興味はなかば失ってしまっている。現場にもずいぶん長いこといっていない。ただ、サブスク時代になってなんでも聴けるようになったおかげで、時折思い出してはシュトックハウゼンのピアノ曲をまとめて聴いてみたり(かつてならCDを探すだけでも大変だった)まったく知らない作曲家の作品にもアクセスが容易になったりしている。いまが一番「現代音楽にやさしい時代(すくなくともリスナーにとっては。作曲家にとってはずっと厳しい、食えない時代だと思う)」に違いない。この状況下で本書のような現代音楽史の本が手頃な値段に読めるのはありがたい、というか、いまの若い大学生ぐらいで現代音楽に興味がある(奇特な)リスナーがうらやましい。こんなまとまった情報が自分が学生の頃にも欲しかった。
伊達に長いことリスナーをやっているわけではないので、本書で取り上げられている作曲の8割ほどは聴いたことがあったのだが(かなりCDも持っていた……)そうであるがゆえに本書で記述される概観の見通しの良さはよりよく理解できる。とくに1-4章では丁寧になぜ20世紀以降のいわゆる「現代音楽」が、無調や十二音技法のような響きに到達し「なければ」ならなかったを記述するあたりは鮮やか。クレメント・グリーンバーグらの視覚芸術における美学を援用しながら話を進めているのも業界外の人にやさしい設計といえよう。とくにアドルノの『新音楽の哲学』では対比的に言及されるシェーンベルク(の十二音技法)とストラヴィンスキー(の新古典主義)が、じつは性格的にかなり近しいという指摘には新たに耳を拓かせられるようだった。
また、第二次世界大戦後、シェーンベルク以降の十二音技法の発展系が、作曲家によってどうことなって実現されたのかを整理している箇所もたいへんありがたい。たとえばブーレーズとシュトックハウゼンのピアノ曲を聴き比べていても、ふたりの作曲家の作品の響きがまったく印象が異なるものであるのはわかっても、手元に楽譜もないし(あっても読めないし)どう作りが違うのか理解するのは難しい。しかし、本書があることで、理論的な、あるいは当時の文化的な背景から作品に迫ることが可能となる。楽譜が読めなくても現代音楽をある程度理解するにはうってつけの本だ。