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文化的消費活動の日記

松本俊彦 『薬物依存症』

著者が高校生の薬物乱用防止ポスターコンクールの審査員をつとめていたエピソード。高校生たちが描く画一的な薬物乱用者のイメージ(目が落ちくぼんで、ゾンビのような人物)を否定しながら、周囲に薬物を勧めるような乱用者の姿を「「EXILE TRIBE」のメンバーのなかに混じっていても不思議ではないような、格好いいルックスのイケてる先輩」と表現してみせる。著者のインタビュー記事はいろいろと読んできていたが、そのユニークな語り口とわかりやすさに関心していたのだが、そのキャラクターは本書にもあらわれている。芸能人の薬物による逮捕、あるいは薬物依存からの回復についてニュースになるとよく顔を見るようになった薬物依存症治療の専門医による至って真面目な本だが、こうした節々も面白い。この人は、ひょっとすると、おしゃべりで面白い人なんじゃないか。

乱用される薬物の薬効や歴史的経緯、依存症患者をとりまく環境や法的な問題から具体的なケアや社会のあるべき姿への提言と内容は幅広い。個人的な読みどころとしては、薬物依存についてよく知らない人が依存症患者を「意志が弱いから薬物をやめられないのだ」と非難する際の、意思の問題を、精神的/心的な問題としてではなく、薬物によって変容した脳の器質的な問題として説明している点だ。それは、脳が変わってしまった場合、その行動選択の責任は、その当事者に果たして全面的に負わせることが可能なのだろうか、という「中動態」的な問題を喚起する。

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著者は依存症を「孤立の病だ」と表現する。孤独を感じている、虐待をされている、承認されていない。そうした痛みを抱える主体が、薬物乱用のコミュニティでは受け入れられる。しかし、乱用を続けるにしたがって、そのコミュニティからも離脱し、いつしかコミュニティからの承認ではなく、薬物の使用自体が目的化してしまう。ケアの実践では、患者を孤立させないことで、孤立の痛みからの薬物使用を遠ざけることが説かれている。このつながりの設計は、もう少し広く応用されても良いように思う。失敗からやりなおせる社会の構築、というか(といいつも、こうした社会の構築に自分がポジティヴになれるかどうか問われると、NIMBY的な態度をとってしまうかもしれない……いや、とってしまうのだが……)。