sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年5月17日、あるいは湿気

起床

6時前。やはり痒みで何度も覚醒してしまい、睡眠の質は良くない感じ。薬を塗ってるが良くなっているのか……。発疹はむしろ増えている。

筋トレ、胸、上腕二頭筋、腹筋。土曜日にスケボーで転んで打った部分がプッシュアップでかなり痛かった。上半身全体にあまり身に覚えのない(軽い)筋肉痛もきている。これも土曜日、公園で懸垂をやっていたせいか。

ベランダにでて鉢植えの様子を見る。湿度が高く、肌にまとわりつくような空気。心配していた植え替え後の山椒は植え替え前よりも元気になったようだ。

朝から病院へ。経過が良かったので減薬。前の病院は家を出てから薬をもらって帰ってくるまで2時間半ぐらいかかっていたが、今の病院になってから1時間弱で戻れるようになったので嬉しい。呼吸器系の先生がくるのが月曜日午前中だけ、という制限はあるものの。

仕事。

 
 
 
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5km。綺麗にビルドアップ成功。もうすぐ臨時収入がもう一発くるのでベアフットランニング用のサンダルが欲しい。

昼食はカップ麺。賞味期限切れのカップ麺をたくさん見つけたので食べていく。

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夕方、Hとベランダで植物を見ながら糖質ゼロビールを飲む。

夕飯はお好み焼き。もう一本糖質ゼロビール。

ストレッチ後、風呂。

臨時収入が届いたので散財。サンダルは見送り。

『哲学の歴史』6巻のメモ

引き続き、ルソーの章。『エミール』のなかの「サヴォワ人助任司祭の信仰告白」という部分でルソーが世界の運動の規則性から、知性(=神)の存在を論証している、という。このロジック自体はとても伝統的なものだろう。そこから自己へと議論が進み、人間の良心を「正義と美徳の生得的な原理」と設定した。理性に先立つ感情としての良心。
ルソーの音楽論の紹介は短いが興味を引いた。長く引用しておく。

ルソーによれば、人間の言語は起源においては旋律をもった歌であったが、言語が進歩するにつれて音楽性を失っていった。また、言語と音楽の源泉は人間の精神性、道徳性であり、それゆえ音声言語と音楽が人間独自の表現方法であり、音楽による美的快楽も、聴覚という感覚の快楽ではなく、聞き手がそこに意味を見出すことによる、精神的なものである。このような立場は、反響による和音という物理的な現象を音楽の原理としたラモーに対する反論だけではなく、音楽や歌を、叫びや身振りと同様に人間の肉体的・動物的情念の表現とみなしたディドロや百科全書派の音楽観に対する反論を含むものであった。(P. 479)

 強調は引用者による。ルソーの立場もラモーや百科全書派の立場もそれぞれ理解できるし、面白い音楽論。一方で、ここでのルソーの立場は、音楽を言語に還元する意味においてロマン主義時代における音楽批評の先駆けのようにも読める。

「メロ夜」。聴きながらあるミュージシャンの2010年代以降についてDMでやりとりしていた。