sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年6月30日、あるいは『アメリカン・ユートピア』

起床

6時前。やはり足の裏、ふくらはぎの筋肉痛がやや強めに出ている。筋トレ、胸、上腕二頭筋、腹筋。

ぽかっと予定が空いてたので仕事道具をカバンに詰めて外にでかける。

スパイク・リーアメリカン・ユートピア

デヴィッド・バーンのパフォーマンスを映画化した作品。このミュージシャンについては、Talking Headsの『Remain In Light』、イーノとのコラボレーション、あとカエターノとの共演ぐらいしか熱心には聴いてなくて……って感じで、そこまで俺は熱心なリスナーではないのだった(一番好きなミュージシャンにデヴィッド・バーンをあげる人も会ったことないが。そこには言語の壁もありそうだ)。正直「リベラルなインテリで自転車大好きのミュージシャンでしょ」っていう雑な理解でこれまで聴いてきたけれど、その理解がバッチリ正解だったことが映画を見てわかった。さらにいえば、そのデヴィッド・バーン性(デヴィッド・バーンネス)が最高だ! って思える傑作!
そこにスパイク・リーの作家性が掛け合わされることで映画は更なる強度を持ちはじめる。ジャネール・モネイのカヴァーを演奏しているとき、エンディング以外ではここしかない劇場の外部の映像が挿入され、それが観るものの感情を大きく揺さぶる。
編集も素晴らしい。おそらく2つか3つぐらいの公演の映像に、客を入れないでステージまでカメラを上げて撮った素材を繋いでいるのだが(素材の違いは、デヴィッド・バーンの髪の乱れ具合でわかる。整ってるときと、前髪が垂れてるときと、全体的に乱れているとき。カットが変わると急にデヴィッド・バーンの前髪が整っていたりする!)ギクシャクした感じが一切なく、一晩のパフォーマンスだと錯覚させるような仕上がりだ。劇中でデヴィッド・バーンが楽器にケーブルを使ってない、という話をしているが、キャメラがほとんど映らない(中盤、客席の(ステージから見て)左端の暗がりにちょっとだけ見切れてるのと、最後の方でちょっと写ってるぐらい)のと対比されるよう。視覚の自由を演出しているようでもある。それが舞台世界への没入を煽る。
本作から要点だけ抽出するなら、白人の年配の男性が皮肉っぽいジョークをかまし、BLMに言及しつつ「未来を変えるために選挙に行ってください(アメリカをユートピアにしようじゃないですか)」とお願いする映画になるのだが、それがなんと痛快な作品になるのか!

帰りに髪を切ったりする。映画はパルコで見たのだが、ちょうどパルコの目の前に坂本龍一が使っているメガネを売っている店があり、試着しにいってみた。似合ってはいたがもう少し顔が老けないと、売れてないお笑い芸人みたいでダメだな、と思う。

糖質ゼロビールを飲む。その後、フレシネ、泡盛

ストレッチ。風呂。

外を歩いたせいか猛烈に眠くなって寝かしつけのまま寝た。