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文化的消費活動の日記

三上美和 『原三渓と日本近代美術』

 

 2019年の夏に横浜美術館で開催されていた原三渓の回顧展で購入した本。2年ぐらい寝かしてしまったが面白かった。2年寝かしているあいだに自分も日本美術史の教科書を読んで勉強したりしてたから、読みどきとしては良かったかも。

yokohama.art.museum

三渓は明治から昭和戦前期にかけて活躍した実業家で、美術コレクターであり、芸術家のパトロンでもあった、という今で言う前澤友作みたいな人。超でかい庭園を作って、それが今、三渓園として公開されているのは横浜市民であれば誰もが知っているであろうけれど、あの富岡製糸場の経営権を持ってたり、関東大震災でダメージを受けた横浜の復興にも尽力したり、と大変立派な人である。

この人はかなりマメな人だったみたいで、自分が買ったモノをいつ・いくらで・だれから買ったかのリストを残していた。本書はこのリストを参照しながら、彼がどういう趣味を持っている人で、さらに近代日本美術にどのような影響を及ぼしたのかを解き明かそうとする。

芸術を直接研究するのではなく、その周辺にいたパトロンの研究というのは日本ではまだあまり前例がないらしいのだが、明治期の芸術文化史についても学べて関心が広がる内容である。

三渓の蒐集家としてのキャリアはまず、パイセンであった蒐集家の影響があって、仏画とか煎茶道具とかの購入からはじまっている。幕末から明治初期にかけて文化系の金持ちのあいだでは茶の湯じゃなくて、煎茶趣味っていうのが流行ってて(茶の湯は支配階層の文化で、煎茶は豪商とか下級武士の流行だったらしい)そこでは、お茶を飲みながら器だとか絵とかを並べて楽しんでいたんだって。めっちゃオタクじゃん、って思うのだが、三渓のパイセン格だったのがかの三井財閥の益田孝(鈍翁)だった。

この鈍翁っていうのは、パイオニア的なオタクで、それまであんまり仏画とかを見ながらお茶を飲むっていう感じじゃなかったのを、仏画とかもありじゃん、って言ってやりだしたんだと。元々こういう仏画とかは信仰の道具であって、芸術鑑賞の対象ではなかったらしいんだけれども、明治政府が博物館とか美術学校とか作って、さらに日本美術史を編纂し、美術の制度のなかに組み込んだわけ。それと並行して、金持ちたちの煎茶趣味があったらしいので、鈍翁がイチからそういう価値観を作っていたわけではない。ただ、三渓はこういう新しく作られた価値に自分からかなり乗っかっている人で、創造的に自分で価値を作ったオタクではなかった、と本書では評価されている(細川護立との比較で)。

面白いのはさ、仏画や骨董品がどっから市場にでてきたか、って話なんだけど、ここに廃仏毀釈が絡んでるらしいんだよね。京都のお寺が廃仏毀釈で金に困って、代々伝わってきた文物が市場に流出してたのだ、と。で、それを金持ちとかが買ってたり、色んな所に流出しちゃうのってマズくね?と思った政府が博物館を作って買ってたんだと。明治政府ってめちゃくちゃスゴいよね、と思っちゃったよ。マーケット作っちゃってんじゃん、って。

三渓もずーっと羽振りが良かったわけじゃなくて、関東大震災のダメージがめちゃくちゃデカくてそこからパトロン活動もやめたりしてるし、そのあと世界恐慌で商売(生糸の製造・輸出)が傾き、さらにはレーヨンによって生糸生産市場が圧縮されてしまい……と経済に翻弄されたオタク人生だったのも興味深い、っていうか、身も蓋もない話。要するにカネがないと文化はできない、ってことじゃん。

ここから今の金持ちが学ぶとするならば、オークションでバカみたいに美術品買い漁るだけじゃなくて(そんなのオークション業者とかギャラリーとか売り手側ばっかり儲かる話じゃん)、作り手に直で金払ったほうが良いよな、昔の金持ちはそうやってたんだよ、ってことだと思う。