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文化的消費活動の日記

2021年8月10日、あるいはジリジリ

6時前に起きる。筋トレ、背中、腹筋。12Rep。1本トレーニングチューブが切れる。

 先週、駒野逸美の最近の動向についてネットで調べていたらでてきたアルバム。爽快。とても気持ち良い音楽。

「メロ夜」の聞き逃しをチェックする。

昼食後に約17km。暑いが今日は湿度が低かった。モワモワと苦しい暑さじゃなく、ジリジリと暑くなる感じ。昔の夏っぽい気がした。

就活中に通ってた作文塾の先生の訃報がはいる。

夕食とともに糖質ゼロビール、白ワイン。

ストレッチ。

SEE ME

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  • アーティスト:LEELA JAMES
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 昨晩の「メロ夜」で紹介されていた。素晴らしい歌声、素晴らしい楽曲。芳醇。

 1988年に書かれた「破産都市」という文章がかなり面白い。住まう、定住するという保守性を経済原則によって支配された都市の開発は駆逐する、という指摘は今なお有効である。経済原則によって支配された都市のなかで生活は可能か。この問いに対して著者は「”共に”という視点を外したら、都市の中に住むのは実にたやすい」と答える。しかし、それは従来の住み方とはまったく違う住み方だ、と著者はいう。

たぶん”共に住む”住み方というのは、保守的で停滞的で、現在の都市の中にあってこれほど、都市性と呼ぶもの、つまり流動性、革新性からかけ離れたものはない、無論、経済原則に照らしたって可能性は全然ない。それでも必要なのだと思う。それも都市の真只中に。(P. 139)

 この考え方にはかなりの共感を覚えるし、このコロナ禍においてはより先鋭的に映る。遠くよりも、近くで。流動しないこと、そこにとどまること。地元でいろいろ済ませることが推奨されようとする機運(しかし、地元でいろいろ済ませようにも、すでに地元の経済がこてんぱんに破壊されてしまっている地域も多いだろう。地元がある町はもはや幸せである)。

俺は共に住むやり方をもう一度作っていく必要を感じる。

こないだから何度かHが「お花がいっぱい咲いていて、海が近いおうちに住みたいんだよね」と言っていたので、戯れに土地について検索してみる。それは良い考えだな、と思うが、土地を買ったりするのがひどく面倒だ……。