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文化的消費活動の日記

2021年8月26日、あるいは夏休み2日目

5時半に目が覚める。風呂。Hと一緒では入れないサウナも堪能。

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朝から甘いもので朝食。その後、部屋でダラダラする。

昔別な訳で読んでいたが、全然ピンとこなかったものを眺める。だいぶ寝かしていたが旅行に持ってきていた。しかし、まったく読んだ記憶がない。

チェックアウトギリギリまで部屋で過ごして、さらに標高が高いところまで行く。

昼食は蕎麦。湖で遊覧船に乗ったり、噴き出る蒸気を見たりする。

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帰りに下山していく電車から森林の風景を見ていて、やはり山が落ち着くな、と思う。海よりも山。原風景への接近。同時に、こうしたリゾート的な観光は、今日において倫理的に許されるのか、と言うことも考える。遠くに行き、良いホテルで良いサービスを受ける、これ自体はエッセンシャルな活動とは言えない(憲法によって権利として認められた健康で文化的な最低限度の生活の範囲からは大きくジャンプアップしたものだろう)。そこには過剰なエネルギーの消費が発生する。こうした活動が心身に与えてくれる潤い、豊かさのようなものは理解できるし、価値も感じる。しかし、許されるのか? Ethicalな消費をしようとするならば、アリなのか? と思ってしまう。

夕飯は崎陽軒の炒飯弁当を買って電車のなかで食べる。炒飯弁当か、シウマイ弁当か、毎度究極の選択だ。

帰宅してライム酒にソーダを注いで飲む。さらに泡盛ソーダ。その後、風呂に入ってすぐに寝た。