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文化的消費活動の日記

ヴァージニア・ウルフ 『灯台へ』

夏休みの読書。

俺はいま36歳で中年と呼ばれるのにやぶさかではない年齢に突入しているけれど、こういう小説を読むと「年を取るのも悪くないね」って思う。この作品は(たぶん)学生の頃に古い訳で読んでいた。そのときは、まったくわからなくて(退屈で難しい作品と思ったかもしれない)その本も手放してしまったし、内容も一切覚えていなかった。本当に俺はこれを読んだことがあったのか? ウルフの別な作品かも? と自分の記憶を疑ったぐらいの「初見」っぽい読書感にも驚いたのだが、かつてあれほどわからなかった作品にこんなにグッとくるのにも驚く。それが経験を重ねること、読者としてのエイジングを経る、ということなのだろう。

描写・文章の密度、比喩の巧みさ、そうした細部を見ていくのも良いのだけれど、全体を通しての構成や視点移動といった映画で言うところの編集の良さによって大きな物語的な出来事が起きない小説のなかに、内省を迫るうねりを生み出すこのすごさ。第1部の一晩、ここではラムジー夫人から、夫、8人の(!)子供、ラムジー家への訪問客たちが、それこそなかなかたどり着けない灯台の回転する明かりが周囲を照らすように描かれていき、ときにその光はラムジー夫人へと反射して、夫人自身の姿をも映し出す。そして、一気に10年の時間を駆け抜ける第2部。それまでゆっくりと進んでいた時間がここでは溶け出して一気に走り出す。戦争、数人の登場人物たちの死について、朽ちていく家について。そして第3部。ラムジー夫人はすでに鬼籍に入っている。第1部のような視点の中心となる灯台はない。しかし、その不在の灯台へと向かうまなざしがある。この失われたものへ哀しさ。気難しく、偏屈で、嫌な父親であったラムジー氏もこの10年で年を取り、変わってしまっている、それを観測する息子の姿もまた感動的だ。

また、夫婦を描いた小説、としては『コレラの時代の愛』ぐらい好きかも。

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