sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2021年11月16日、あるいは高い塔

6時前に起きる。また妙な夢を見る。『すばらしき世界』でケースワーカー役をしていた男性が主人公で、戦争から帰ってくると妻がもういなくなっている。悲しい話。

筋トレ、胸、上腕二頭筋

英語動画を15分。NBCのニュースライヴ配信を聴きながら仕事を続ける。

昼食前に13km弱自転車。ごく軽めに。

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途中で見た高所作業。高圧電線にぶらさがって作業している人たち。見てるだけでちょっと怖い。どこから登るんだろう、と思ったら、近くの鉄塔から登っているようだった。

夕方に気絶。

糖質ゼロビール。泡盛ソーダ

ストレッチ。風呂。

DRONES [Explicit]

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これはかなりDolby Atomosの利用を意識したサウンド作りになっているのではないか。今様な下がめちゃくちゃ鳴っている音でありながら、空間を埋めることではなく、逆に空けることで広さを感じさせる。ここ最近ではもっとも感心させられたサウンド

引き続き、これをペラペラめくっているが、8世紀から起こったキリスト教内部での聖画像崇敬をめぐる議論が面白い。はじめイスラーム勢力から「キリストを絵で描くのは偶像崇拝では?」という指摘が入ったことから聖画像の禁止がおこなれるのだが、それを神学的に理屈づけようという流れが起こる。反対派曰く、神的なものは目に見えないから描けない、キリストを描くということはキリストの人間的な部分(つまり可視の、肉的な部分)だけを見ることであり、それは不可分であるはずのキリストの神性と人性を分けようとする誤謬に陥るのと同義である……云々。一方で、聖画像の擁護に回る側は、キリストの人性(質料をもった、可視のもの)を神の現れの媒介のようなものだとして画像として描かれうる、としたそうな。