20世紀の日本を代表する建築家による建築論コンピレーション。最初に収録されているのが若書きの「MICHELANGELO頌」というかなりエモエモな文体の檄文なのでキツいのだが(もっともこの1939年に発表された文章から、丹下のインテリぶりのすごさもわかる)かなり面白い本。とくに50年代の論考で展開される丹下流の日本建築論は読みどころがある。そのなかでも「現代建築の創造と日本建築の伝統」(1956年)は、日本建築の歴史を西洋の建築と比較しながら振り返りつつ、それをどう引き受けて日本流のモダニズムを成し遂げるのかという態度表明と位置づけられるだろう。
曰く、日本の建築は、西欧のようにデュオニュソス的なものとアポロン的なものが激しく対立し、要するに陰陽の弁証法によって発展する道筋をとらず、陰りを内包することでの「みやび」にしか展開されなかった、と。これは『陰翳礼讃』的な話だと思うのだが、丹下はこのみやびを消極的なもの、貧しいものとして評価する。しかし、その貧しさが自然との調和・自然への開放へとつながることによって独自の感性的な発展をおこなう。そこは良い。また庶民的な貧しさから自然発生する素朴な美も肯定的に評価する(これは民藝的な話だと思う)。
日本の現代建築の創造とは、そういう日本的なものを引き受け、乗り越えなきゃいけないよ、西洋の真似っ子じゃダメだよ、というわけね。で、この文章を書いていた頃と同じ時期に丹下が作った自邸(1953年。現存せず)がコレですよ。
不明 - SHINKENTIKU Vol.30 JANUARY 1955(新建築 1955年1月号), パブリック・ドメイン, リンクによる
モダニズム的な直線! 日本的な開放性! ピロッティ! 自分で文章に書いていたことがそのまま表現されててヤバ! この首尾一貫した態度に日本的な表象を安易に建築の表面に貼り付けた日本的建築が振り返るべき文章だろう、とも思う……のだが、1960年代以降次々と国家的プロジェクトに関わっていった頃の作品とは切り離して考えるべきのようにも思うし、もう少し言うと、丹下がここで表明している「現代建築家としてのあるべき姿」みたいなものってかなり素朴なモダニズムのようにも思われもする。