sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

濱田武士 『魚と日本人: 食と職の経済学』

日本の漁業や魚介類の流通、消費に関する概説書。著者は現在日本の魚食文化の危機に警鐘を鳴らしており(魚介類の消費量の減少や、水産資源の減少、さらには漁業のビジネスの存続)、そこにはグローバル資本主義による国産水産物の価格競争力低下や、公的なもので管理・保護されてきた市場が規制緩和によって民間に開かれていったことによる軋轢などさまざまな要因が指摘されている。

昔はどの町にも鮮魚店があって、目利きの店主から消費者へ魚の食べ方のナレッジが伝えられていた、それが日本の豊かな魚食文化だったはずなのに……と著者は失われた時代への嘆きをあらわにするのだが、一方で、その文化消失の根本原因は、そういうグローバル資本主義規制緩和によって結果的に日本が(日本人)がこの30年ぐらいでバキバキに貧乏になったから……の一言に尽きるんじゃないか、と思う。貧乏で金がないから魚なんか買えないし、貧乏で時間がないから魚なんか料理していられない。いろいろと供給側の課題や市場の歪みについてなんとかしようにも需要側が一向に貧乏のままであり、改善の兆しがないのだから絶望的な気持ちになって気もする。2016年に刊行された本書でも近年の我が国のエンゲル係数の上昇について指摘されているが、上昇傾向は現在も継続……どこからより強まる傾向にある。おそらくは円安とコスト上昇によるインフレ(スタグフレーション)によってこの傾向はさらに悪い方向に進むだろう。

www.dlri.co.jp

だからもう日本だけで日本の食文化(とそれを支える産業)を守ろう、というのは無理な話で海外にその食文化を輸出していく戦略ぐらいしかありえないのでは……とも思うのだが、本書ではその視点は盛り込まれていない。農林水産省は結構このへん頑張っているようなのだが……。

www.maff.go.jp

そもそも本書で褒め称えられている「日本の古き良き魚食文化」自体が自然なものなのか、と昨今のSDGs的な潮流にのれば批判可能にも思う。日本全国、内陸部・山間部でも鮮魚が入手可能である、それ自体がさまざまなコストがかかる高度な流通網を前提に実現されているものであり、まったく自然のものではない。極端にいえば、山中の温泉旅館の夕食に刺し身がでてくる不自然さまでも守るべき魚食文化に含まれるのだろうか……という視点に立てば、日本の古き良き魚食文化も産地に近いローカルなものへと撤退していくのが自然への回帰な気もする。遠くへと普遍化していくのではなく、近くで特殊化していく方向へ。