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文化的消費活動の日記

2022年5月23日、あるいは他者との距離

4時半ごろ起きる。筋トレ、腹筋、下半身。今日からもうパタゴニアのバギーショーツ解禁。下着を省略して履いていく……と思ったが肌寒くて結局下着を履き、長ズボンを履いた。

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作シーズンはウールパンツの収集に気が向いていて、この軍パンもその流れで買った。かなりしっかりとした生地でこの季節にはもう暑いかなと思ったのだが、通気性があるのでまだ不快なときが全然ない。「できればドライクリーニングで」とか書いてあったが、普通におしゃれ着用の洗剤で洗濯機で洗って問題なかったのも良かった。

Nightly News(5月20日分)。アメリカでは南米からの不法移民が過去最大規模になってきているのだという。アメリカの株式市場に関してbear marketという評価がされはじまる。インフレによる業績悪化で小売業関連の株価が暴落しているとも伝えられていた。サル痘の話も気になる。症状的にはCovitより全然嫌だ。

昨日はFBに一昨日結婚式をあげたTとの関係性について書いていた。友人(他者)との影響関係において、他者から教えられること、あるいは他者を真似することではなく、他者の行動や振る舞いが波のように自分のなかにあるものを震わせ、変化を促すような関係性がありえる……云々といった内容。それを書いているときに念頭にあったのは「精神看護」に収録されていた対談のなかでの松本卓也の言葉だ。そこでは象徴的な他者を重視し、想像的な他者を軽視してきたラカン派の見直しについて言及されている。象徴的な/遠い他者と、想像的な/近い他者。遠い他者からの影響も、近い他者からの影響もいずれも俺のなかにはある。

しかし、37歳、俺は一体これからどこに向かうんだろうなぁ、と思う。一昨日の結婚式では、宇宙飛行士の試験をいま受けているという人と知り合い、Tもまた今年の4月から博士課程に進んだのだという。いずれもなんらかのフロンティアを開拓する、そういう動機づけを認識できる。明確な目標設定もある。自分にはそういうのはない。いや、なくても良い気もするのだが……日々のルーティーンのなかで、ひとまずは父親の役割をこなしていく責任は負っているわけだから……。なにかを目指さずして動くことを肯定してみても良いのかもしれない。

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残り少なくなっていた小説の転載作業を最後まで終える。

5km走る。昼食はまたフォー……と思ったが面倒くさくなり家で蕎麦を茹でてて済ます。

今日も飲まず。夕食後に少しギターの練習。アルペジオのときに小指をピックアップにつけて手を固定してしまうクセを矯正する。矯正、というか、それでしか弾けないところから卒業しようとしてみる。ギターは高校のときからほとんど上達していない。もう少し真面目に色々弾けるようになってみたい気もするが……。これも同じことをずっと思っているだけな感じだ。