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文化的消費活動の日記

鈴木忠平 『嫌われた監督: 落合博満は中日をどう変えたのか』

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したスポーツ・ノンフィクション。落合博満が中日の監督を務めた8年間を落合と一緒に仕事をした選手や球団スタッフの変化を媒介にしながら描いている。メディアを通して自分の意思を積極的にだそうとせず、時にはショウ・ビジネスとしてのスポーツの原則さえも破ろうとする「嫌われた監督」、理解しがたい謎めいた人物の孤高のプロフェッショナリズムが浮かび上がる……簡単に内容を紹介するとそんなところになる。

わたしはそんなに野球に詳しくないのだが、落合博満高校野球部の途中で辞めて、大学も中退、一時はプロボウラーを目指していた……みたいな経歴から3度の三冠王、みたいなエピソードから「なんなんだ、この人は」と興味を持っていたのだった(古田敦也YouTubeチャンネルでも「なんなんだ、この人は」っていうエピソードが満載で良かった)。現役時代も知っているけれど、中日から巨人に移籍したときは結構ダーティなイメージで報道されていた気がする。信子夫人のキャラ、福嗣くん。野球以外の角度からも語られてきた人だ。


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本書も「なんなんだ」というエピソードに枚挙にいとまがない感じで(選手を変化させるエピソードも直接的な指導で変わっていくよりも、自分で考えさせて自発的な変化を促すような話が多い)半分ぐらいは面白く読んだ。嫌だな、と思ったのは、本書の語り口である。

書き手は、朝もまともに起きられず、書いている記事も間違いが多い、というダメな記者として本書に登場してくる。仕事もまともにこなせない、野球にもそもそも情熱を持ってない(この時点で、若干書き手に対しての嫌悪感みたいなのが湧いてくるのだが)。それまで培われてきた野球報道のシステムの隅っこにぶらさがっているだけのダメな記者、そうであるがゆえに、旧来の球団システムや野球報道の慣習から外れている落合博満にアプローチできた……みたいな書きぶりになっている。自分の上司も落合が嫌いみたいで〜、だけど自分はなんかあると思っていて〜、みたいな。

まぁ、それは良いとしよう。読んでいてホントに嫌だったのは、書き手がノンフィクションの視点としてだけでなく、すっかり登場人物のひとりになっちゃってるところなのだった。書き手は8年間、落合の監督ぶりを見ることによって、だんだんと記者として成長していったみたいなストーリーさえ盛り込まれている。書き手、前に出すぎじゃないですかね? って思う。「ええい、ホワイトベースはいい、ガンダムを映せ」みたいに思ってしまった。事実である部分と、書き手が想像で書いてる部分の境界もよくわからない(選手にどういう取材をして、こういう書きぶりになったのか全然わからない)。ドラマティックに本を仕立てるにあたって、いろいろ盛りすぎているようにも思う。

また、書き手が「上手く書けてる」と思っていそうだけど、そんなにハマってるように思えないクドい表現もいちいち引っかかる。「吉見は高級ハイブリッドカーのように静かに揺れることなく滑り出した」(高級ハイブリッドカーってなに!? 吉見ってそんなイメージがしっくり来るピッチャーなの??)、「ストライプのダークスーツにシックなネクタイを結んだ和田」(え、シックってどういう風にシックなの?)とかクエスチョン・マークがいろいろと浮かんでくる。村上春樹が好きで真似してるけど、失敗しちゃってる人の例を見ているようでツラいし、そういう細かな傷がちょっとずつ本の値打ちを下げている。こうした問題点(書き手が前にですぎだろ! とか、表現スベってるよ! とか)が本書の語りどころにもなっているのかもしれないが……。