sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

ロラン・バルト 『明るい部屋: 写真についての覚書』

ロラン・バルトの最晩年(と言っても彼の場合、事故死なので自分の死を意識して書かれた本ではない、ただ、本書にはバルトがずっと一緒に暮らしていた母の死の影響が大きくある)に書かれた写真論。晩年のバルトの本のメロウな雰囲気は、ここ数年の「いまの気分」であったのだが、本書もその気分にぴったりとハマッてくるし、バルトの本のなかでももっとも日常的な言語に近い言葉で綴られた哲学的文章なのではないか……と思うと「最初に読むバルト」としてオススメしたいかもしれない。もっとも理論的な著作、研究的な著作ではなく、あくまで物書き、というか、なんかメロウなことを書いちゃってる作家として付き合う場合、ということになるけれど。

全体は二部に分かれており、本書を紹介する際に必ず触れられることになる母親の死について触れられているのは後半の方。そこでは著者自身が本書のなかで触れているように、あるいは訳者によるあとがきでも触れられているように、さらには物の本のなかで触れられているように、写真に対してのプルースト的な現象、キャメラのまえにかつて立っていた物体を写真は決して「捉えていない」ことが語られている。個人的に面白かったのは断然前半で、そこでバルトは写真に対する関心を「ストゥディウム」と「プンクトゥム」という2つの述語で分類している。前者は一般的な関心のようなもので(写真の例ではないけれど)「大谷翔平ってすごいよね!」みたいな話である。一般的なすごい写真、すごい瞬間を捉えたもの、驚きを伝えるもの、そうしたものがストゥディウムに分類される。バルトはそうしたものにはまったく惹かれないのだ、という。バルトが惹かれるもの、それは曰く言い難い、説明できない細部、見るものを貫くような点、であり、そうしたものをプンクトゥムと名付ける……そういうの、わかる、わかります。

関連記事

sekibang.hatenadiary.com

sekibang.hatenadiary.com

sekibang.hatenadiary.com

sekibang.hatenadiary.com

 

sekibang.hatenadiary.com