sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

スラヴォイ・ジジェク 『イデオロギーの崇高な対象』

ひさびさにややこしめな本に取り組む。ジジェクの主著のひとつ。マルクスラカンヘーゲル(そしてドイツ観念論)を基軸にして、ときに映画や文学の例をまじえながら進むイデオロギー分析。かなりややこしい書きぶりであるのだが、現実界の穴(社会やシステムや認識や主体を支えているもののなさ。否定神学システム)について繰り返し話しているような本でもあると思うので、そういう本だと思って読み飛ばしていくと良いのかも、と思う。本書の終盤でアウグスティヌスの男根の理論について言及されているのだが、これもそういうことの一例だ。「男根の勃起は原則として人間の意志ではどうにもならない。したがってこれが、アウグスティヌスによれば「男根の意味」である」

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ラカン理論に関しては、とにかくこの本を読んでおけば良いだろう。

わかった半分、わからない半分のふんわりした感じで読み進めていたけれど、本書で指摘されている社会システムの空虚さについて、これは本当に現在の日本の政治状況など見ていると、そのものだ、と思う。たとえば、合理的な根拠の提示や説明なく閣議決定されるその空虚さ。だれもが求めていないものが求めていることにされてしまう意思決定。そうした状況を鑑みれば、本書の内容はもはや「そんなこと知っているよ」という話なのかもしれない。