高校時代、おそらくほとんど初めて読んだ思想の本(たしか模擬試験の現代文のテクストにこの本からの文章が選ばれていたのだと思う)。当時通学時間に線を引いたり、付箋を貼ったりしながら熱心に読んだ記憶がある。自分にとってそういう懐かしい本を今読んだらどうなるんだろう、と思って書い直して読んでみたのだが、驚くべきことに、まったくどの文章も記憶になく、かと言って新鮮にも読めない感じだった。当時(1988年刊行)にサントリー学芸賞をとってるのだが、この本が受賞しているとなると今とは選手の基準が違うんじゃないか、という気にもなる。もっとも1989年に本書が選ばれたときは同じ著者の別な本とセットでの受賞、ということだったみたいだが。
日本の思想家がファッションに切り込んだ著作、として自分も記憶していたのだが(たぶん自分がこの本を読んだ2000年代前半の著者のイメージに引っ張られている)あまりそういう本ではなく、むしろ、現象学や記号論を用いながら服を着ることの効果や、服を着ることで変容する身体論のようなことが書かれている。
だから具体的なブランドやモードに関するファッション批評のようなものを期待すると肩透かしに合うのだが、読みながら記号論みたいなものが今全然流行らない現状について、つまり記号論がモードじゃなくなってることについて考えてしまう箇所があった。「これこれこういう理由で男性がスカートを履くことは禁じられているのだ」みたいな記述。男性がスカートを履いたっていいじゃないか、多様性が大事じゃないか、みたいなことになってるときにこれを読むと、記号論がその読解で寄る辺とするコードの力が弱まっていることを意識させられる。