sekibang 3.0

文化的消費活動の日記

2023年3月15日、あるいは計算量

4時半に起きる。寝起きのプロテイン摂取の際、カロリーアップのためオレンジジュースに粉を溶かしてみる(プロテインはプレーン味)。オレンジジュース割りはなかやまきんに君YouTubeで見たやつ。恐る恐るだったが、普通に美味い。

英語ルーティン。英語の文章を読んでいて「the three fingers and thumb」というフレーズがでてきた。thumbはfingerのなかに入らないのか? という疑問。


www.youtube.com

英語ニュースを見ようとしたときにレコメンドされてきた角野隼斗の「千のナイフ」に聴き惚れる。本人の演奏より何倍もキレてる。

幼稚園にHを送り出し、スタバでタンブラーにコーヒーを入れてもらって帰宅。筋トレ、腹筋。

 
 
 
 
 
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「シンエヴァ」のBDを観る。ものすごい量のCGオブジェクトが動いているときに自分の脳がコンピューターの演算を想像してしまってヴァーチャルな処理落ちを感覚してしまう。実際にはその映像はリアルタイムで演算されているわけではないので(すでにデジタルな映像データとして「現像」されているわけで)そんなことが起きるはずはないのだが。感覚がcomputernizeされることによって、映像からは質感や構図といった二次元的な要素だけでなく、三次元的な計算量という要素が認識可能となる……のかもしれない。類似の概念としてすでにエントロピーがある気がするが、二次元的・三次元的な画面を構成するために必要なエネルギーとして計算量を捉えてみる。すでに試みられている可能性があるが今後アニメーションや実写映画の領域で、計算量が多いシーンでは処理落ち的な動画の作り方がありえるのかもしれない。ゲームの事例ではあるが、かつて「ロックマン」がPlayStation(だったと思う)に移植された際に処理落ちがゲーム内で再現されていた(処理落ちのシミュレーションの有無を設定で変えられた)。これは処理落ちがすでに自然な見え方として受け入れられているという証左なのかもしれない。一方でそれはディズニー的・手塚治虫的な「なめらかに絵が動く」というアニメーション的欲望には反してもいるのだが。

しかし、ラストのマリのファッションは分かっていても「オタクが考えたオシャレ」って感じで見るたびに笑ってしまう。シンジくんのネクタイもシステム開発の現場で三次受けぐらいの会社にいるテスト要員のような柄だ。昼休みにオタク仲間で集ってワイワイやってそうなリアリティを感じる。

ここ数年、企業内にある情報を検索して活用しましょう、みたいなテーマで仕事をする機会が多い。LLMの盛り上がりでこの手の検索ソリューションにも早速検索だけじゃなくて要約させましょう、みたいなネクストステップが提示されている。長年仕事をしてるとわかるのだが、とにかくユーザーの大部分は書いてあるものを読まないので要約によって認知のリソース削減ができればちょっとしたブレイク・スルーがありそうではある。しかし、さらにその先になにがあるか、と問われるとよくわからない。企業内に溜め込んでいる自然言語の情報をリソースに新たな創造ができそうな感じってなんかあるんだろうか。既存の情報アセットを元にしてブレスト的なことをAIがやってくれる……みたいな世界はありえるのかもしれないが、既存のアセットが新しいアイデアの源泉となりえるのかどうか(クズばっかりなんじゃないのか?)。むしろ今後そのような源泉として情報を活用するのであれば、いま残している情報よりも、いま捨てていっている情報(議事録に残らない雑談や捨てられたアイデア)のほうが価値に変換される可能性が残っているんじゃないのか……みたいなことを夢想した。

夕方、Hを迎えに行き、ご飯を食べに行く。

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帰りにめちゃかっこいいポルシェを見た。993。この辺のデザインが今一番再評価著しく感じ。なお、3500万円とのこと。

 
 
 
 
 
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読了。

『セリー』は紙が中古でしか手に入らないのがもったいない作品である。というか、この作家は紙で読むべき人、って感じ。しかし、こういうものを読めるようになった自分にも驚く。以前なら「かったるいな」で終わっていたかもしれない。