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文化的消費活動の日記

野中郁次郎・竹内弘高 『知識創造企業』

たしかスクラム開発とかアジャイル開発とかの本を読んでいるときに、スクラムというフレームワークのもとになったのがこの本だ、みたいな記述に出くわして手にとった。1970年代・1980年代の日本企業がなぜ欧米の企業を圧倒する創造的な製品開発をおこなえたのかを組織論、とくにナレッジ・マネジメントから分析した本。変わった本、というか、かなり構えが大仰な作りになっていて、おおきくわけて経営学のカテゴリーのなかに含まれる研究のひとつだと思うのだが、知識というものを考えるうえで著者は西洋と東洋の違いを捉えようとし、西洋哲学史古代ギリシャから遡りもしている。

さまざまなケース・スタディから主題である過去の日本企業(言ってしまえば、失われた30年より前の日本の大企業である)のかがやきについて調べられているのだが、乱暴にまとめてしまえば、「組織の多様性」・「自主性・自発性をもたせた権限」・「円滑なコミュニケーション」・「チームで参照すべきナレッジの整備」を組織にもたせていたプロジェクトが成功していた、ということに尽きる。読んでて、あ、それってアメリカのテック企業とかにありそうなやつじゃん! って思うのだが、スクラムの元ネタにこの本がなっているぐらいなので当たり前の話ではあるのかもしれない。

結局、日本の会社がダメになったのって、元々はスタートアップみたいなことをやれてたのに、組織が硬直化して官僚的になって創造性が失われたからなんすね、と仕事のうえで交流があった大企業の方々のことも思い出しながら腹落ちさせられる感覚もあるし、身も蓋もないことをいえば「大企業に創造性をもたせるなんか無理」みたいな感じもする。

面白かったのは、かつての日本企業が市場の不確実性に対して柔軟に対応しようとして、こういう組織を産んだのだ、みたいなことが書かれていたこと。これに対して衰退した企業にはどんな特徴があるのか、といえば、

古くなった強みを守るのに汲々とし、あまりにも失うものが多いからと変化を恐れたあの三つの王者的企業*1と比べてみよ。彼らは、自分の世界に閉じこもり、予測可能なものと安定だけを求めたのである

とのことである。近年「VUCAの時代を生き延びるには〜」みたいなことが盛んに論じられているけれども、本書を読むと市場は常にVUCAだったのであり、それを勘違いして「こうすればうまくいくんだ!」と働きを変化しなくなった会社からダメになっていくんだな、ということがわかる気がする。