依存症臨床研究の専門家として知られる松本俊彦先生が、自傷行為の臨床研究も専門にしていたことを知る。自傷行為を「誰の助けも借りずにつらさに耐え、苦痛を克服する」ための対処方法と置き、それがアルコールや薬物への耽溺へと隣接するアディクションとなりえる。その解釈自体はよく分かる。自分ごととして。
自傷する若者のなかには、「将来はモデルになりたい」「芸能界デビューをする」「人とは違った生き方をする」などと、一見すると自己愛的ともとれる発言をする者もいますが、その背伸びした仮面を1枚剥がせば、驚くほど自分に自信がありません。自己評価の低い人ほど、「普通の自分では生きる価値がない」という思い込みから、しばしば自分に非現実的な理想を課すものです。
思えば、彼らの自己愛はいつでも「条件付きの自己愛」です。たとえば、「あと5キロ痩せたら……」「○○大学に入学したら……」「二重まぶたになったら……」といった条件をつけて、それを叶えた自分しか愛せない、という苦しい状況のなかに生きているのです。言いかえれば、「ありのままの自分」を受け容れられないのです。
こうした理想的な自己像との乖離が、あるいは、もっと直接的な挫折の体験が、自己否定を呼び、自らの身体を痛めつけても良いものと解釈してしまうこともよくわかる。もっとも、その理想と現実とのギャップによる苦しさは大人になるに従って(ある種の諦めを受け入れることによって)自然とギャップが埋まることで解消されていくものでもある。ただ、その諦めのプロセスがどのようなものであるのか。それは人によって大きく異なるものだ。自傷者の特性として、本書では「相談下手」であることがあげられている。友人関係や、親子関係もよくない。そうした孤独な主体はひとりで諦めていくしかないのか。それはとても過酷なことだと思う。ひとりで大人になっていくことはできる。けれども。