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文化的消費活動の日記

出村和彦 『アウグスティヌス: 「心」の哲学者』

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

 

引き続き「アウグスティヌス強化月間」的な流れで岩波から最近でたばかりの新書を。いま一番新しいアウグスティヌス関連本、なのかな。著者はアウグスティヌスの大権威ピーター・ブラウンによる彼の伝記の翻訳者。サブタイトルにあるとおり、西洋哲学のなかではじめて意思を問題化した思想家としてアウグスティヌスをとりあげている。彼がどんな生涯を送ったのか、どんな業績があったのかをダイジェスト的に知るには良い本。というか、いま日本語で読めるものではこれ以外に選択肢なし、というのが実際か。文献案内も親切だ。

とはいえ、ダイジェストがダイジェスト過ぎて「この本をとっかかりとして、どう深く読んでいくか」みたいなところがよくわからない感じがした。新書だから、そこまで求めるのは御門違いも良いところ、ではあるけれども。思想の内容的な掘り下げよりも、アウグスティヌスが生きた時代に関する記述の方が充実しているような気もする。古代末期の歴史記述に出会うこと自体が稀なので、それはそれで有用ではあるのだが……。

関連エントリ

 

 

檀一雄 『檀流クッキング』

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

メロウ番長、tmymさんが 紹介していた岩手県盛岡市の古本屋さんBOOKNERDさんのインスタで紹介されていた。「勉強家」であり「料理をしないシェフ(=料理本は好んで読むが、料理はあまりしない)」を標榜するわたしであるから、いずれは読むであろう「名著」であったのだが、きっかけを与えてもらえた感じ。とても良い本。こういうきっかけがインターネット上で生まれるのはとても嬉しいこと。

子供の頃に母が出奔、それから一家の料理番を担ってきた、という小説家が書いた料理に関する文章。産経新聞上でこの連載がはじまったのが1969年だという。世界中のあちこちで食べてきた料理を紹介しており、言うなれば「食のコスモポリタン」的なアティテュードが本書にはある。情報の早さとホンモノ度は、伊丹十三のそれに勝るとも劣らないレヴェルだと言えよう。いくつかのページに付箋をはって、食材の旬が来たら作ってみようかな、と思いながら読んだ。

珍しい食材、あまり食べられていない食材、あるいは逆にありふれた食材をどうにかする。そのとき、メインとなる食材は(本書で多用される言葉をもちいるならば)「きばって」買い込む。面白いのは、それを調理するときの調味料やダシをとるときに「○○がなかったら××でも△△でもかまわない」と書いてしまうところだ。

人によってこれは「いい加減」、あるいは「豪快」とも捉えられようが、料理の基本が備わっている人にしか書けないことがらだと思う。××でも△△でもかまわないけれど、なんでもいいわけではない。こういうのは、美味しく仕上がるための勘所がわかっている人にしかわからない。そういう意味で、檀一雄の料理って、料理人的ではなく、主婦的であると思った。食材の運用のセンスが感じられる、というか。

育児は消費

https://www.instagram.com/p/Bb8_qY7hETc/

先月初めて息子をつれて福島まで帰省した。実家には父と母と祖母(息子にとっては祖父母と曽祖母)がいて、ずっとだれかにかまってもらっていたせいか、2泊して自宅に帰ってきたら、急に声が大きくなったり、発音できる音の種類が増えたりして驚いた。寝返りもする。

つくづく育児は消費だな、と感じている。以下に息子が生まれてから買ったものを思い出せる限り記してみる(紙おむつとかおしりふきだとかの消耗品や子供服以外のもの)。 

チュチュベビー 鼻水キュートル 2WAYタイプ

チュチュベビー 鼻水キュートル 2WAYタイプ

 
チュチュベビー デンティスター1 授乳期用 0ヶ月~6ヵ月頃

チュチュベビー デンティスター1 授乳期用 0ヶ月~6ヵ月頃

 
6WAYジムにへんしんメリー

6WAYジムにへんしんメリー

 
HashkuDe(ハッシュクード) 洗える授乳クッション ポルカドット ネイビー
 
オーボール ベーシック

オーボール ベーシック

 

こんなにバカスカと買い物している時期がこれまでにあっただろうか。妻と一緒に暮らしはじめたときも一人暮らしで使ってた家電をそのまま使っていたし、マンションを買ってからも家具は結構じっくりと揃えていった。それと比べると《狂騒の20年代》ぐらいのテンションでモノを買いまくっている気がする。

人からすすめられて買ったものもあれば、便利だと聞いて買ったものもある。買ったけどまったく使わなかったものもある。オーボールなんかは、他所の家の子供がもっていたのをさんざん目にしてきていて「ベビーカーについているよくわかんないアレ」ぐらいの認識だったのが「自分が買う立場になっている!」などとやや感慨深くなった。

このなかには、もしなかったとしても育児がまったく成り立たないものも含まれている。あえてラカン的に言えば、他者の欲望によって突き動かされている感じがしないでもない。さらに言えば、資本主義に完全に組み込まれている。育児で必要になったから購入する、のではなく、育児にはこういうものが必要なんですよ、とプログラムされているこの感覚。

「エルゴにするのか、ビョルンにするのか」などの問題は我が家でも悩んだけれども、これだって必要よりも先に悩みが発生する感じであった気がし、育児文化産業(これはホルクハイマー & アドルノだが)によって支配されているのだ、俺は、と思った。

ただ、それが嫌なわけではなくて。むしろ、わたしは物を買うのが大好きな消費人間だから喜んで買ってしまう。また、息子のためにお金を使ってあげる。これがなかなか楽しいものなのだった。父ちゃん、頑張って働くよ、という気持ちにもなる。労働意欲が消費によってドライヴされる。資本主義の奴隷、消費は麻薬。

2017年11月に聴いた新譜

Bach Cello Suites Vol 2

Bach Cello Suites Vol 2

 

11月もクラシックを聴くことが多かった気がする。そのなかでもオーストラリアのギタリスト、スラヴァ・グリゴリアンによるバッハの無伴奏チェロ組曲はよく聴いた。無伴奏チェロ組曲のギター編曲版は珍しくないが、普通のギターとチェロとでは、音域が違うのでオリジナルとは違う調で演奏されている。グリゴリアンの演奏は、バリトン・ギターを使った、オリジナルの調での演奏。ギターによるバッハの無伴奏チェロ組曲のオリジナルの調での録音は彼が初めてらしい。

Bach, J.S.: Cello Suites Volum

Bach, J.S.: Cello Suites Volum

 

昨年出ている第1弾の録音とあわせて、これで全集が完成。

Schumann: Symphonies Nos 1

Schumann: Symphonies Nos 1

 

クラシックではマイケル・ティルソン・トーマスによるシューマン交響曲全集も良かった。

Windy / ユメノツヅキ(通常盤)

Windy / ユメノツヅキ(通常盤)

 

続けてR&B系ではCHEMISTRYの復活シングル。松尾潔のラジオで「ユメノツヅキ」は何度も聴いていたが、歌詞が再始動にふさわしい感じで素晴らしいな、と。歌謡曲R&Bとのあいだで輝く素晴らしい作品。7インチが来年出るらしいのでマストバイ的な気持ちが高まっている。

Audiology

Audiology

 
Glasshouse

Glasshouse

 

R&Bではこんなアルバムも聴いた。

Red Pill Blues

Red Pill Blues

 

Maroon 5の新譜も今様R&Bのエッセンスをえげつないほど取り込んでおり、これが売れなかったらどうするんだ、という感じであった。SZAやケンドリック・ラマーなど好きなアーティストもゲスト参加している。


Maroon 5 - What Lovers Do ft. SZA 

twicetagram

twicetagram

 

K-PopではTWICEを。これが1枚目のフルアルバムだったのか、意外すぎ。まだ日本語ヴァージョンを聴いていないのでまったくなにを歌っているのかわからないのだが、アルバムの1曲目「LIKEY」から「これ、Daft Punkの『Get Lucky』がモチーフなのか!?」とド直球を投げてくる感じで腰を抜かした。すげえ完成度。


TWICE "LIKEY" M/V 

GOOD VIBRATIONS

GOOD VIBRATIONS

 

キリンジ脱退後、本格始動の勢いがさらに増しているのか。堀込泰行といろんなアーティストとのコラボレーション曲を集めたEP。1曲目の「EYE」から、ダークな感じで、おお、こんなテイストの曲、これまであったっけと驚きつつ、素晴らしい内容で何度も繰り返し聴いた。うっかりしていてアナログを入手しそびれそうになったのだが、なんとか手に入れられそうで一安心。

AIの逃避行

AIの逃避行

 

KIRINJIのほうもシングルを発表しているが、これはあんまりピンとこなかった。

Vu Jà Dé (ヴジャデ)

Vu Jà Dé (ヴジャデ)

 
EVERYTHING IS GOOD

EVERYTHING IS GOOD

 

J-Popではこんなアルバムも。ノーナ・リーヴスの新譜、良かったなぁ。細野晴臣はアナログでのリリースないのかなぁ……。

リバップ

リバップ

 
リーチング・フォー・ケイローン

リーチング・フォー・ケイローン

  • アーティスト: BIGYUKI,ハヴィアー・スタークス
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2017/11/01
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る
 

ジャズの新譜は上記の2枚を。ナベサダ、元気だなぁ……と感心した一枚。ドラムがすげぇな、と思ってたらブライアン・ブレイドだし……。 

Avenida Atlantica

Avenida Atlantica

 

ブラジルの鬼才、ギンガの新譜もめちゃくちゃ良かった。弦楽四重奏との共演。ギンガの声とギターと弦楽四重奏が濃密に絡み合って「with stringsモノ」と一言で語れない作品に仕上がっている。これは菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラールのファンの方などにも受け入れられるのではないか。

コミュニケーションと

https://www.instagram.com/p/Bb0-Dnaho_l/

最近iPhoneを一番新しい機種に変えて、カメラの性能が劇的に変わったのでデジカメの出番がどんどんなくなっていきそう。息子は生後4ヶ月を過ぎて、体重が9kgぐらいある。どこに行っても「大きいね〜」と驚かれ、その度になぜだか誇らしい気持ちになる。

ここ数週間でなにかをしてあげたときのリアクションが大きくなっている。

たとえば、抱っこをしたままスクワットをしてあげたり、ブルックナーごっこ(ブルックナー交響曲第8番の最終楽章を口ずさみながら、音楽に合わせて体を軽く叩いてあげる遊び)やブルックナー踊り(同じくブルックナー交響曲第8番の最終楽章を口ずさみながら興じる奇怪な舞い)をすると、キャッ、キャッ、とそれはそれは可愛い声で笑うのだった。

息子が笑うと嬉しくなってしまって、スクワットを100回ぐらいやって筋肉痛になったり、ノドがおかしくなるほどブルックナーを歌ったりしている。

それから、口のなかで「クー」と音を鳴らす(フランス語のrをもっと口の前のほうで発音している感じの音)と、たまに息子が真似をして同じ発音をしてくる。本当は真似しているわけではないのかもしれないけれども、まるで会話をしているようで、笑わせるよりも嬉しい。ワッ、真似したッ、と驚きながら、喜んでいる。

そして同時に、なぜ、こんなこと、つまりは、自分の表現が伝わったり、それに反応があったりすることで、喜んでいるのだろう、自分は、と考えてしまう。

人類はコミュニケーションが成立することが楽しい、もっと成立させたい、と思うように、プログラミングされているんじゃないか、そのプログラムがひいては社会の成立につながっているんじゃないか、などということを強烈に意識させられる。

Henry Chadwick 『Augustine』

Augustine: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

Augustine: A Very Short Introduction (Very Short Introductions)

 

先月読んだ『勉強の哲学』をきっかけに、かねてから勉強したいと思っていたアウグスティヌスの入門書を読む。思いたった瞬間にはまだ日本語でちょうどいいサイズの入門書が出ておらず(いまは岩波から新書がでている)、困ったときのオクスフォード大学出版。著者のヘンリー・チャドウィックはイギリスの神学界の大御所みたい。わずか130ページあまりでアウグスティヌスの思想をバランスよく伝えている。

先日、アウグスティヌスに関する論考を発表したばかりのアダム高橋さんともやり取りをしていたのだが、アウグスティヌスに関しては、とかく「意思の問題に西洋哲学史上もっとも早く取り組んだ哲学者」だとか「心の哲学」とかいう語られ方がされがちで、ちょっと問題があるんじゃないのか、という状況であるそうな。

一読した限りでは、この本にはそういう偏りがない。もちろん、意思の問題にも触れられるのだが、18世紀にまでおよぶ後世への影響についても触れているし、アウグスティヌスの思想的な背景にも触れられている。広く浅く、だからこそ、フラットに伝わってくるものがあるし、ここから広げるための選択肢も豊か。個人的には彼が生まれた4世紀なかばの北アフリカの文化的状況の記述が面白かった。

同じシリーズでは、以前に読んだこちらの本もたいへん良い本だった。基本的に平易な英語で書かれているし、日本語で手頃なものがないときはこれからもお世話になりそう。

関根浩子 『サクロ・モンテの起源: 西欧におけるエルサレム模造の展開』をご恵投いただきました

サクロ・モンテの起源: 西欧におけるエルサレム模造の展開

サクロ・モンテの起源: 西欧におけるエルサレム模造の展開

 

担当の(美人)編集者の方からご恵投いただく(ありがとうございます!)。「サクロ・モンテ」という言葉自体、本書で初めて知ったのだが、出版社の紹介ページを読んで大変興味深いものだなと思った。

山上の聖地、サクロ・モンテ

エルサレムの一種の模造建築、聖地パレスティナの代用巡礼施設、プロテスタントに対するカトリックの要塞などさまざまに解釈されてきた宗教施設「サクロ・モンテ」。その起源は、聖地巡礼の実践の必要性が次第に失われた中世以降、危険な長旅を敢行できない者に巡礼の機会を提供すべく導入された代用の巡礼地の最終形態、「代用エルサレム」にある。

中世西欧の巡礼や聖地模造の伝統を受け継ぎ、北イタリアの宗教的諸事情の中で独自の近世的形態を獲得したその歴史を明らかにする。

なるほど、伊勢神宮とか出雲大社の分社みたいなものか……という理解。しかし、ホンモノにアクセスできない代わりに、ホンモノにアクセスしたのと同じ効用がこれにはあるんですよ、というシステムがキリスト教世界にもあったのか、というのが驚きで、このシステムにおけるホンモノと、言うなれば、そのコピーの関係は、ベンヤミンの議論も想起させもする。じっくり読ませていただきます。