INCASE インケース Incase Icon Slim Pack インケースアイコンスリムパック Black ブラック CL55535 [並行輸入品]
- 出版社/メーカー: Incase
- メディア: エレクトロニクス
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ブログの過去記事を調べたところ、前にIncaseのリュックを買ってから4年以上経っていた。渋谷の西武で23000円(税抜)だったが、Amazonの並行輸入品だとだいぶ安いな……(でも、実際にモノを見たサービス料とでも考えよう。脱ネット通販だ)。
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ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の大家、ダニエル・カーネマンの著作を読む。面白いんだが、ヴォリュームが多すぎて正直後半は飽きた(帯では「プライベートやビジネスで、よりよい決断への道筋を示す必読のノンフィクション」とあるが、これは明らかに煽りすぎだろう、と思う)。従来の経済学が想定してきた人間観、つまり、人間は合理的な判断を常におこなって意思決定をおこなっている、というものから、現実の人間像がいかにかけはなれているかを心理学のアプローチで解き明かすような本。
本書では人間が意思決定・判断をおこなう際の脳の働きを「システム1」と「システム2」のふたつにわけて記述されている。前者が直感的な「速い思考」、後者が熟慮をおこなう「遅い思考」。で、人間の意思決定プロセスにおいてはこのシステム1がまず先頭に立って働いてしまうので、ちょっと考えればわかるような問題でも間違えがちだったりする。いかに人間の脳がズルをしがちなのか、サボりがちなのかがよくわかる。
ACT OF TENDERNESS [12 inch Analog]
4月は心が擦り切れるような日々を送っていたため、新譜の印象があまり残っていないのだが、tdさんのブログで知ったこの2枚はかなり好き。PreoccupationsはJoy Division的なロックンロールであって嫌いになれるわけがなく(デンマークのIceageを彷彿とさせる。Iceageも新譜出すんだな)、シンディ・リーはゾンビ化したMy Bloody Valentineのような音響と、The Doors的な色っぽさと暗さ、シド・バレット的なポップさを感じ、素晴らしかった。
Preoccupations - Disarray (Official Video)
Geography [帯解説・歌詞対訳 / ボーナストラック2曲収録 / 国内盤] (BRC564)
Mahler: Symphony No. 6 in A Minor "Tragic"
Haydn: Piano Sonatas Nos. 32, 40, 49, 50
バイエルン放送響のマーラーとハイドンの録音はよく見たら全然新譜じゃなかった(Apple Musicのカタログに入ってきたのが最近だったみたい)。どちらも録音が優れていて「ほー、これはこういう音楽だったのか」と感心させられる部分があった(とくにマーラーのほう)。
そういえばキップ・ハンラハンの新譜もCDで買っていた。Apple Musicで聴けないと容易にスルーしてしまうなぁ……。良くも悪くもいつものキップ・ハンラハン、という内容。
息子にとってはじめてのゴールデン・ウィークがやってきた。車を買ったので車で帰省してやろうかと思ったが「渋滞中に機嫌が悪くなられると、しんどいよね」という判断から断念。転職以降激減してしまった息子とのふれあいタイムにあてている。
生後、9ヶ月が経過した。育児書によれば「リズムにあわせて体を動かすコもいる」らしい。おお、そうか、と思って、生まれて間もない頃に実験的に聴かせていたカール・クレイグとかホアン・アトキンスなどのガチガチのテクノを再度聴かせたりしていた。
言うまでもなく、楽しんでいるのは大人、というか俺のほうであって、息子をエルゴで抱っこしながら、こういうレコードをかなりの音量で再生して、小刻みにリズムをとっていると息子は即寝てしまう。
これまでパーカッションのように床に叩きつけるしかできなかったラッパのおもちゃを急に吹き出したり、目の前でピアノを弾いていたら近寄ってきて鍵盤に手を伸ばしたり、順調にそちらの道への方向付けが進んでいるのかもしれない。
「これは読まなければ……!」と思うような本に出会えることは幸せである。これはインターネットでつながっている友達が話題にしていた。著者のチャプスキは、ポーランド生まれの画家であり批評家。彼が第二次世界大戦中にソ連の捕虜となり、極寒の収容所でおこなったマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に関する講義の記録、というのが本書。今年上半期の「隠れた話題書」、「隠れたヒット作」とも言える本だと思うので、当ブログを読まれているような奇特な方はマストバイ。読もうと思ったときにはすでに品切れになっており「いつ重版がかかるんだ!?」と非常にヤキモキした。「早く手に入れたい……!」本に対して、そんな気持ちになることも昨今では稀だったな……。
ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(1987,2012) - キッチンに入るな
これ自身が優れた書評であるが、こちらのブログ記事でまとめられているように、すでに数々の書評がでている。どの書評も、本書が生まれた環境、極限の逆境において芸術が与える希望のようなものに触れている。それは本書を手に取るきっかけを作る一番のパワーの源泉であるのだが、本が生まれたコンテクストを抜きにしても、大変に有用な本だと思った。
とくに『失われた時を求めて』という作品のコンテクストとなる部分、プルーストが生きた時代のフランスの文化的な背景を解説している冒頭部分。こういうのは改めて「有用である」と言っておきたい。とくにフランスでワーグナーが大流行した時代に、プルーストがその文学的素養や世界観を発展させていたという記述。これはわたしに、アルフレッド・コルトーが《神々の黄昏》をフランス初演した、という歴史的事実を思い出させ、コルトー、そしてジャック・ティボーという音楽家が、この作家とほぼ同時代人であったことを気づかせる。
Thibaud/Cortot - Franck: Violin Sonata in A, 1923 (entire)
それはまるでプルーストのテクストにBGMを添えるような注釈となるだろう。音楽と同様に絵画に関する記述は、テクストに色彩を添える。とにかく、まだ『失われた時を求めて』を読んだことのない人にとっては「チャレンジしてみようかな」という刺激を与えられる本であろうし、わたし自身はいつかチャレンジしようと思っていた「再読」に手をつけてみよう、と思っている。
ところで、収容所で生まれた「作品」というくくりではメシアンの《世の終わりのための四重奏曲》を思い起こさせる。「ヨハネの黙示録」に曲想を得たこの楽曲の原題は、直訳すれば「時の終わりのための四重奏曲」となる。ほとんど同時期に、ソ連の収容所とドイツの収容所で「時」にまつわるモニュメントが生まれたのは単なる偶然なのだろうか?
Messiaen: Quatuor pour la fin du temps / Weithaas, Gabetta, Meyer, Chamayou
いまこのエントリーを書きはじめた瞬間、新刊当時、新宿のサザンテラスのほうの紀伊国屋で派手に売り出されていた記憶がなぜか蘇ってきた。昨年、現代日本を代表するスーパー若手女優、松岡茉優様主演で映画化された小説『勝手にふるえてろ』、綿矢りさの原作を読む。映画は未見であるのだが、読書中の脳内イメージは完全に松岡茉優様の御姿で出来上がっていた。
綿矢りさといえば、わたしはかつてこんな風に評したことがある。
人間の描写に強烈なブラックネスが混じっているところが、綿矢りさの小説の好きな部分だった。彼女は、冴えない人間を、悪意さえ感じるほど鋭く、柔らかい表現をつかって描いてしまう。時速200kmぐらいでマシュマロを投げつけて、人を殺す感じの、そうした凶悪さがすごく好きだった。
本作の主人公は、冴えないおたく女性。その冴えなさ、痛さ加減の描写には、作家の天才が遺憾無く発揮された名作といえよう。小説のほとんどが主人公の内的な独白で占められているのだが、それがいちいちおたくっぽい。おたくっぽい自意識の過剰が最高だし(「おたくのくせにテクノが好きな私は」)、「視野見とはイチを見たいけれど見ていることに気づかれないためにあみ出した技で」という最高のフレーズで冒頭から持っていかれてしまう。綿矢りさはマジで天才。
主人公の振る舞い、意識の痛々しさを受け止められるオトナになっていて良かった、と心底安堵する。
代々木上原にある人気飲食店「按田餃子」の主宰者による著作。わたし個人はこのお店に足を踏み入れたことはないのだが、妻がファンらしく、本書も妻が買っていた本なのだった。
帯には「自炊はわがままでいい。台所にしばられず、自分らしく食べて、生きるには?」とある。通常の「食」に関する本とは一味違った食文化に関する本だと思った。ましてや「グルメ本」では決してない。 実のところ、文章のスタイルがやや苦手とする部類に属する本ではあるのだが、大変興味深く読んだのは、その「台所にしばられない」というスタイルなのだった。
現代の高度文明社会に生きている人間であれば、おおむねそのライフスタイルは「定住スタイル」であろう。なかにはホテル暮らしの人もいるかもしれないが、いかに引越し魔の人であっても、基本的には家を持ち、そこを拠点に暮らしている。そこには使う使わないを問わず、台所があり、自炊するのであれば、その台所を使うことになる。
本書が興味深いのは、台所を使って自炊をする定住スタイルのなかに、原始社会めいたスタイルが移植されているように見えるところ。台所で毎日気合をいれて「料理をする」のではなく、肉や豆をまとめて「加熱」し、味を変えながらずっと食べ続ける、そういうのが自分にはあっている、と著者は言う。
掲載されているレシピは、凝った料理、という感じではない。逆に、粗野、というか簡素である(ただし、雑でも、乱暴なわけでもない)。これにより、定住のなかで機動力が生まれていく。
行き着く先は土井善晴の名著『一汁一菜でよいという提案』と重なるのだが、方法論がまるで違っている。「品数を減らすけれども、一品一品に丁寧に心をこめる」という土井の方法論は、日常に気づきを与えるタイプの本だったけれど、本書は「え、そういうスタイルもあるのか!」という驚きをもたらしてれるよう。なにかライフスタイルが地滑りを起こしそうな怪著なのではないか、とさえ思える。