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Nouvelle茶人、あるいは勉強家によるブログ

村上春樹 『村上ソングズ』

 

村上ソングズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

村上ソングズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

村上春樹のラジオ番組がはじまったことをきっかけにしてなのか、近所の本屋に置かれていたので本書の存在を知った。村上春樹の訳詞とともに届けられる音楽エッセイ。このところ、家でまとまった量のストーリーだとかロジカルな文章を読むのが難しい日々が続いていたので、こういう本は良い。紹介されているのは半分以上は知らない曲で、音楽的な出会いも発生した。直訳調とでもいえる歌詞には、村上春樹の翻訳におけるスタンスも垣間見れる。

ところで村上春樹のラジオだけれど、今のところ全2回どちらも聴き逃さず聴けている。初回は休日出勤の帰りに車を運転しながら。第2回は、防災用に買ったソニーのラジオで。ラジオのスピーカーで聴くラジオ、良いですよ。

ローレンス・M・プリンチーぺ 『錬金術の秘密: 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」』

 

錬金術の秘密: 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」 (bibliotheca hermetica叢書)

錬金術の秘密: 再現実験と歴史学から解きあかされる「高貴なる技」 (bibliotheca hermetica叢書)

 

ヒロ・ヒライさん監修によるbibliotheca hermetica叢書シリーズの最新刊を読了。『錬金術の秘密』はヒライさん自らによる翻訳。平明でリーダブルな訳文は、さすがのお仕事。著者のプリンチーぺは科学史の権威で、邦訳は新書サイズの『科学革命』がある(これも名著)。本書では、古代ギリシャから現代(!)まで、錬金術がどのように営まれ、そしてそれは社会的にどのように扱われてきたのかを辿るものとなっている。あくまで、著者の視線は当時どういう意味があったのか、であって、今それらがどういう意味があるのか、ではない。そこには現代化学につながる先駆的な発見を称揚するような価値付けは存在しない。

プリンチーぺは、イカサマ師だとか、不老不死の妙薬を求めている、といった「通俗的錬金術のイメージ」を上書きする。西洋の錬金術師たちには、不老不死を求める者はひとりもいなかった(中国での錬金術的な営みとの混同が存在している)し、錬金術師たちは、文字通りの「金銀を錬成しようとした人々」ばかりではない(錬金術師たちのなかには、金銀の錬成、つまりクリソペアに否定的な人々もいた)。金銀を錬成しない錬金術師とは……? という疑問が沸くところだが、こうした混乱を避けるために著者は、現代の化学にもつながる錬金術師たちの営みを「キミア chimia」という当時の綴りをもって再定義している。

個人的に本書のなかで一番興味を引いた部分は、古くはディオクレティアヌス(3世紀の人物だ)の時代から、為政者たちによって、錬金術が「貨幣価値を乱す可能性があるもの」(つまりは通貨の信用を乱すもの)として危険視されていた、ということで。錬金術の本のなかに経済学的な視点が投げ込まれるのも本書の魅力のひとつといって良いと思う。

関連エントリー

ダイソン サイクロン V10 を買ったんだ日記

 

7月から人生でもっとも忙しい時期が続いており、散財しないとあたまがおかしくなりそうだったため(なにせ、8月の労働時間は350時間である)、前々から欲しいと思っていたダイソンのコードレス式掃除機を購入していたのだった。先月。

購入したのは最新モデルの「V10」の1番安いやつで、普通のモーターヘッドとコンパクトモーターヘッド、2種類のブラシに、それから細長いノズルが付いてきた。高いやつになればなるほど、いろんなアタッチメントが付いてくるが、絶対使いこなせない(ついてくるだけ邪魔)ので我が家には1番安いので充分だった。

電気屋さんの店員曰く、この「V10」モデルから定期的に掃除が必要なフィルターが2箇所から1箇所に変わっているとかで、それが購入のポイントになった。稼働時間は最大60分とあるが、パワーMAXだと15分ぐらい。それでも2LDKの我が家を掃除するには充分。モーターヘッドが大小でふたつ付いてくるのはなにげにポイント高く、大は床掃除用、小はベッドやソファの用、みたいに使い分けることができる。そう、わたしの週末の掃除はコンパクトモーターヘッドでベッドの掃除をするところからはじまる。謎のホコリを吸ってくれるその瞬間は、ヒッ、と思いながら、購入満足を感じる悪魔の時間である。

難点をあげるなら、その重さ。バッテリーのせいだと思うのだが、かなり重さを感じる。強力だから動作音がうるさいんじゃないか、と思ったけど、音よりも重さ。熱心に掃除をしていたら親指の付け根の皮がむけてしまった。これは女性にはかなりしんどいんじゃないか、って思う。長いノズルをつけて床掃除してるときのバランスもあまり良くない。旧モデルのV6を見ると大きさが段違いなので、重さも致し方なしなのだが「軽いのが欲しい」のであれば、V6を選択するのは全然アリだと思う。

あとはダストカップからゴミを出すときにすごく細かなホコリが飛び散ること。これは鬱陶しい。このへんの作りは日本のメーカーならまずありえないんじゃないか、って思う。あとあんまり説明書も親切じゃないよな、と。ちょうど今日「なにをやっても『なんか詰まってるよランプ』が消えない」という状態になっていたのだが、水洗いできるフィルタが生乾きだったのが原因というのに気づくのにだいぶ時間がかかった。重さ、ホコリの飛び散り、説明書の不親切さ、この3点のうち、ホコリの飛び散りは将来的に解決されて欲しい点。

とはいえ、もはや「ブランド家電の掃除機部門における大定番」となっているので、もはやわたしがレビューするまでもなく良い製品だと思う。購入してからというもの休日は朝ごはんを食べたらダイソンで家中掃除する、というのがルーティーンなっている。パワーのあるコードレス式掃除機、この自由度。最高。掃除が楽しくなる。パン屑とか、息子が食べこぼしたお菓子のカスとか、さっと掃除機にかけられる。最々高。

『21世紀ブラジル音楽ガイド』

 

21世紀ブラジル音楽ガイド (ele-king books)

21世紀ブラジル音楽ガイド (ele-king books)

 

現代ブラジル音楽を好んで聴いている好事家であれば、各種の情報収集はできているに違いないのだが、この20年ぐらいの潮流をまとめて把握するにはうってつけの本。ここで紹介されている音源はほぼサブスクリプションサービスで聴けるので、まことに現代的である。大変勉強になります。結構な発見も多く良い本。

マルクス・ガブリエル 『なぜ世界は存在しないのか』

 

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

 

異例のヒットになっているらしい哲学書。おもしろい、のかもしれないが、なんで売れたのかよくわからず。タイトルのうまさがあるよな、とは思う。某氏による本書の解説講義を聞いたときのメモを以下に転載しておこう。

  • 新しい実在論(New Realism)
  • 新しい実在論とは
    • ものは存在する、みている人もいる
    • 「宇宙」と「世界」とを区別する
      • 宇宙は「ものが存在している領域」
      • 世界は宇宙も包括するし、可能性も含まれる
    • でも「世界」は存在しない
      • 視野のなかは見れる、視野それ自体は見れない
      • 超越論的に「世界」を見ることができない、だから、存在しない
    • この世界とは
      • ヴィトゲンシュタインの引用
        • 世界は事実の総体、物だけではない
          • りんご(物)、鉢(物)、りんごが鉢の中にある(事実)
      • ヴィトゲンシュタインからさらにいくと
        • 物・事実だけじゃなく、領域も存在する
      • 世界はすべての領域を包括する領域
    • 存在するとは
      • 「なにかが意味の場に現れているという状態」
      • 意味の場は対象領域とは違う
      • フレーゲの議論
        • 「意味」と「意義」の区別
          • 意味 = あらわれ方
      • ものは意味の場は複数重なる場合がある
      • 意味するものとしてあらわれないものは存在しない。だから世界は存在しない。

なんのことやら、っていうメモだな……。「世界」という言葉に都合よく意味を与えて「世界は存在しません!」と言ってるだけじゃないか、それって反則じゃないのか……。

岸政彦 『はじめての沖縄』

 

はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)

はじめての沖縄 (よりみちパン! セ)

 

 

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 第2篇 花咲く乙女たちのかげに』

 

地獄の毎日だったが粛々と読み進めていた「花咲く乙女たちのかげに」。ちょっと前に読み終えていたのだが、ブログを書く時間もなければ、気力もなかった。3巻・4巻は端的に言って「面白いですね」って感じで。前半がスワンの娘、ジルベルトとの初恋。後半は語り手が祖母とともにリゾート地、バルベックに逗留したときのエピソード。

ジル・ドゥルーズはこの作品の語り手を「狂人」と評したそうだけれども、そういう診断がされなくもないだろうな、という感じである。とくにジルベルトへの思いについて語られている部分。とくにヤバいのが語り手がもっているジルベルトのイメージと、現実のジルベルトが一致しない、という語り。語り手の行動パターンとして、というかこの小説のなかで起こる物語的な運動の大部分が「語り手がある対象について妄想や期待を膨らませる」→「現物をみてガッカリ」の繰り返しであり、この「ジルベルトのイメージが分裂している」問題もこのパターンの変奏とも言えるのだが、これって統合が失調しているんじゃないのか、って思ってしまった。

さらにヤバ面白いのは、バルベックに着いてからの語り手である。ジルベルトとの初恋から2年経過し、おそらく17歳ぐらいになっているハズ、その年頃の男子といえば、悶々とした性欲のオバケのようなものであって、語り手もその欲望に突き動かされるようにして、なんか素敵な出会いがあるんじゃないか、とバルベックの町を彷徨い歩く。そして、すれ違った美しい女性によって妄想・ファンタジーが呼び起こされまくるのであった。こうしたヤバ行動の甲斐あって、主人公はバルベックに遊びに来ている少女集団とつながりを持ち、そしてアルベルチーヌとも出会うのだが、

このように美少女たちを記憶のコレクションに加えていくところなど、まるで殺人鬼のような発想だと思ってしまう。 

バルベックでの生活は大変賑やかで、年上の友人となるサン=ルーが初登場する際の輝かしい記述や、シャルリュス男爵の饒舌さは「花咲く乙女たちのかげに」でも屈指の面白さだ。「スワン家の方へ」では、スワンに頼まれてオデットの監視役的な働きをするだけだったシャルリュス(しかもゲイだから「オデットと浮気する心配がない人」という扱い)も、ここではすごく洒脱で品のある一流の社交人として描かれる。

同一人物の小説内での評価が、時間によって大きく変わっていくのは、この小説の面白いところだ。たとえばスワンについても「スワン家の方へ」では、一流の人物として描かれているのに対して、オデットの結婚以降、評判がガタ落ちしている。その一方で、冗談を文字通りに受け取って嘲笑されがちだったコタール医師は、パリを代表する名医として評判が爆上がりしている。目まぐるしく動く株価変動のような「評価」はこの小説を読み解くひとつの観点として面白い、と思っている。

ところで、「スワン家の方へ」に収められた「スワンの恋」のラストでは、オデットに費やした時間はなんと無駄な時間だったんだ……と悲嘆にくれていたハズである。にもかかわらず、結局、スワンとオデットは娘がいて、結婚していて、なんだかんだありながらも一緒に暮らしている。あんなにハチャメチャだったのに、なんでコイツら結婚してんだよ……というのが謎で。あの悲嘆から結婚までのあいだになにがあったんだよ、と思っている。わたしが読み飛ばしてしまっているだけなのかもしれないが。スワンの結婚に関しては3巻で結構ページが割かれているものの結婚に関する決定的なエピソードについては言及がないと思うんのだが、これ、あとで説明されるのかな……。

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