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sekibang 3.0

読んだ本などの記録

エミリー・オスター 『お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント』

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

お医者さんは教えてくれない 妊娠・出産の常識ウソ・ホント

 

かなり前に山形浩生さんが紹介していたシカゴ大学の女性経済学者が第一子妊娠を期に、妊活・妊娠・分娩に関する医学論文をとことん調べまくり、それに関して一般的に言われていること(たとえば、妊婦さんはカフェインをとっちゃいけない、だとか)がホントなのかどうかを検証する、という本。大変勉強になりました。「寿司や生卵についてあまり心配する必要はない」とか、「妊娠中に運動をしなくてもそんなに問題はない」とか、エヴィデンスをもとに「統計的にいったら、こういう判断ができるよ」ということが事細かに書いてある。

身近に妊婦さんがいたら、思わず(お節介を承知のうえで)書いてあることを教えたくなってしまう(が、それをわたしがやると大変に鬱陶しいことこのうえない存在になるだろう……)し、データを前にして著者がどういう判断を下したのかのドキュメンタリーにもなっていて面白い。「妊娠中に◯◯をすると(あるいはしないと)0.01%のリスクが発生する」という研究に対して「0.01%なら、◯◯しちゃってもいいや」という洗濯も取りうるし、逆に「0.01%のリスクがあるなら、◯◯は避けよう」という判断も取りうる。この本で著者がとった判断が絶対正しいものとして推しているわけではないのがフェアで良かった。あと単純に「実はその通説に根拠ないみたいだよ」とか教えてくれる部分は面白い。

伊丹十三 『小説より奇なり』

小説より奇なり (文春文庫)

小説より奇なり (文春文庫)

 

これも復刊してない伊丹十三の著作。著者がひたすら他人から話を聞いた結果を編集して一冊の本にしている。井伏鱒二星新一岡本太郎といった今となってはレジェンド級の作家に「あなたの抜け毛はどうですか?(抜けてますか? どう思ってますか?)」と聞いて回ったり、また「猫派ですか、犬はですか」などと聞いてまわったりする。それが昔の新聞のような文字組で構成される。この部分はすごい悪くふざけ感が満載。そのほかは、当時の著名人・文化人に食に関するインタヴューだとか、無名の人間が体験した異常としか言えない体験談など。

食に関するインタヴューは、新入幕から2年目の輪島だとか、ミケランジェリの弟子だった日本人ピアニスト高野耀子だとか、三遊亭円生だとか、藤原歌劇団の創立者藤原義江だとか、すごい人選。また、これが聞き手がいれていく合いの手や相槌のセンス、そして聞き出した言葉を文字に落とし込むセンスが抜群で。インタヴュイーの人となりをしらなくとも、文字から音声が蘇ってくるよう。無名の人間の体験談は、単純にすごい話が載っていて凄まじい……。まとまった内容に欠けるし、すごい奇書めいたものに思えてくるのだが、伊丹十三の編集センスが爆発した一冊。

伊丹十三 『女たちよ! 男たちよ! 子供たちよ!』

女たちよ!男たちよ!子供たちよ! (文春文庫 (131‐5))

女たちよ!男たちよ!子供たちよ! (文春文庫 (131‐5))

 

引き続き、3年ぶりの伊丹十三強化月間。こちらは現在絶版中、比較的手に入りにくいエッセイ集。著者が体験した子育てに関する文章が中心で、後半は子育てについての鼎談を、著者、岸田秀河合隼雄といった精神分析関係の人たち、その他作家とか学者の人、という組み合わせでおこなった記事が収録されている。一番最初に来るのは、田原節子(この当時、村上節子)と男女のセックス感覚について聞きあう対談記事。

伊丹十三がこの当時、精神分析にハマっていたのは、今となっては、古びちゃっている部分であり、ある種汚点めいた部分もあると思われる。けれども、悪い本じゃない。精神分析の言葉に寄りかかりすぎの部分はあるかもしれないが、子育てにおいても伊丹十三の言葉は、指導的であり、示唆的である、と思った。

今の育児っていうのは母親本位なんです。子供は教材なんです。子供という教材使って「母親が」どれだけいい成績とるかっていうのが育児なんです。

これである。「正しい」育児ハウトゥーを求める親たちへの批判的な発言なのだが、これは刊行から40年近くたった現在でも有効だと思われた。あと、伊丹十三がどんな父親だったか、が垣間見れるのがこの本のとても良いところ。

伊丹十三 『女たちよ!』

女たちよ! (新潮文庫)

女たちよ! (新潮文庫)

 

これも3年ぐらい前に読んでいた。再読。伊丹十三のエッセイではこの本が一番まとまりがあって好きかも。1968年の本。すごいよね、やっぱり。『ヨーロッパ退屈日記』と内容がかぶる部分もあるのだが、ホンモノ志向、これが。カルボナーラの作り方がさらりと解説されているわけ。それが「イタリアのホンモノ」の作り方なんですよ。生クリームを使わない。フランス式のレモンの切り方とかさ、普通に役立つ話も載っていて、あらためて良い本だな、と思った。おお、奇しくも今年は没後20年なのか。手に入りにくくなっている本の復刊など、進むと良いのにね。

村上春樹 『騎士団長殺し』

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

村上春樹の新作を読了。刊行前にタイトルだけ公開されたときに「ふむ、ドン・ジョヴァンニか。セックスしまくりの男が主人公の、またぞろいけ好かないオシャレ小説でも書いたのか?」と想像したが、これまでの村上春樹作品の総決算的、というか「全部のせ」みたいな本だった。主人公は、いつものように一般会社員じゃなくて、なにか特殊能力をもって飯を食っているキャラクター(36歳。画家)。それが、いきなり妻から離婚を切り出され、井戸みたいなものだとか、年上のガールフレンドだとか、リトルピープルみたいなものだとか、ふかえりみたいな人物だとか、緑や天吾のお父さんみたいなものだとか、やみくろみたいなものだとか、地下の冒険みたいなものに出会い「なんかこれ読んだことあるゾ!」の連続になっている。

要するに「いつもと一緒」であるので、そんなに急いで読まなくても良い本だと思ってしまったのだが、いくつか新しい試みも行われている。まずは語り手(主人公)がストーリーを物語る立ち位置。およそ9ヶ月間のできごとを主人公が振り返る、という構造を本作はとっている。本の始まりの地点で、主人公は、この本の結末で明らかにされることを知っているのだ。なので、たとえば出来事Aが起こったあとに「これが後々、大変な出来事Bをおこすことになるとは……」的な書き方が可能となっている。こういう書き方、少なくともこれまでの長編作品ではなされていなかったように記憶している。

それから「不気味な雰囲気」を書くのが上手になっているよね、という印象も受けた。思い出すのは短編集『女のいない男たち』に収録されている「木野」という作品で、これは近年の村上春樹作品のなかでも一番に面白かった短編だったのだが、そこで試されていた「不思議」から「不気味」へのモードチェンジが、本作のなかでも試されているように感じる。

ただ「行って帰ってくる」という物語の基本は、これまでの長編のなかでももっとも強く感じられるところ。『オデュッセイア』みたいな放浪(冒険)を作中で主人公は2度経験することになるのだが、1度目の放浪がオペラで言うところの序曲みたいな役割を果たしていて、ここだけ読んでも「なるほど、これ行って帰ってくる話ね」という予測がつく。そして、そこでは村上春樹的な予定調和が繰り広げられるのだろう、という予測が生まれる。

そして、今回、この予定調和が作者の自己欺瞞的なもとして読めてしまった。物語はおおむね「ハッピーエンド」といってさしつかえない終わり方になっている。そこに到着するまでにスーパーナチュラルなできごとがいくつもおこる。尋常ならざるもの、にわかに信じがたいことを「世のなかには説明できないことがおきる」という態度によって、主人公はあまりに簡単に受け入れすぎなんじゃないのか、と。これまでの作品はもうちょっと理解しがたいできごとを理解しようとしていた気がする。あともうちょっと主人公は痛い目にあっても良いんじゃないか、と。

最後の「まとめ」もいかにも性急な感じがし、正直な感想を申し上げると「もうこういうのは最後にしてくれ!(それよりも『1Q84』はいつなのか! 第4部書くはずじゃないのか!)」と思った。これが最後のつもりで「全部のせ」だったのなら、良いんだけど……。

伊丹十三 『ヨーロッパ退屈日記』

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

 

というわけで、ひさしぶりにしっかりと再読。およそ3年前にこの本を読んでいたらしい。

今回はこのへんの言葉が刺さった。

要するに、お洒落、なんて力んでみても、所詮、人の作ったものを組み合わせて身につけてるにすぎない。ならば、いっそまやかしの組み合わせはよしたがいい、正調を心懸けようではありませんか。"

誰が悪いのでもない、日本語でパリを語るということ自体がだめなのです。いやらしくなってしまう。

良い本です。永遠に追いつけない本だと思う。

『季刊25時』 vol.7 「特集: ぼくたちの大好きな伊丹十三。」

季刊25時 Vol.7 (ぼくたちの大好きな伊丹十三))

季刊25時 Vol.7 (ぼくたちの大好きな伊丹十三))

 

こないだイベントで立ち寄った本屋でたまたま見つけた雑誌『季刊25時』。「今日でもなく、明日でもない25時。一日が終わって、大好きな店でお酒とともに楽しみたくなるような雑誌」というコンセプトで、バーのカウンターを中心に取り扱っている小さな雑誌らしい。

第7号が、大好きな伊丹十三の特集だったので買ってみたんだけれども、素晴らしい内容で。伊丹十三の著作は、手に入るものは大部分読んでいるのだけれども、そのカッコ良さを思い出させてくれるし、名著(というか伊丹十三が超本格フランス料理を作りながら、さまざまな文化人と対談を繰り広げる奇書)『フランス料理を私と』の舞台裏が明かされたりする。

ぼくはね、伊丹さんこそ、ぼくたちのおじさんなんだと思っています。お父さんでは絶対にありませんね。いろいろな気づきを教えてくれるおじさん。いろいろな刺激をあたえてくれるおじさん。あたらしい世界の扉をあけてくれるおじさん。恰好いいおじさん。学校の勉強は教えてくれないけれど、人生の勉強はたっぷり教えてくれるおじさん。

こんな言葉がのっている。うなずくしかないし、そういえばドラマ『北の国から』に出演する伊丹十三もまさしくそういうキャラクターとして登場していた。伊丹十三が酒について綴った文章の引用から構成された「伊丹十三の呑み方。」という記事では、自分の酒の飲み方のなかにどれだけ伊丹十三からパクったものがあるのかを思い知らされたりする。なんというか、スタイルの巨人だ。改めて彼の著作を読み返したくなる。