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文化的消費活動の日記

ダニエル・カーネマン 『ファスト&スロー: あなたの意思はどのように決まるか?』

 

ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の大家、ダニエル・カーネマンの著作を読む。面白いんだが、ヴォリュームが多すぎて正直後半は飽きた(帯では「プライベートやビジネスで、よりよい決断への道筋を示す必読のノンフィクション」とあるが、これは明らかに煽りすぎだろう、と思う)。従来の経済学が想定してきた人間観、つまり、人間は合理的な判断を常におこなって意思決定をおこなっている、というものから、現実の人間像がいかにかけはなれているかを心理学のアプローチで解き明かすような本。

本書では人間が意思決定・判断をおこなう際の脳の働きを「システム1」と「システム2」のふたつにわけて記述されている。前者が直感的な「速い思考」、後者が熟慮をおこなう「遅い思考」。で、人間の意思決定プロセスにおいてはこのシステム1がまず先頭に立って働いてしまうので、ちょっと考えればわかるような問題でも間違えがちだったりする。いかに人間の脳がズルをしがちなのか、サボりがちなのかがよくわかる。

2018年4月に聴いた新譜

New Material

New Material

 
ACT OF TENDERNESS [12 inch Analog]

ACT OF TENDERNESS [12 inch Analog]

 

4月は心が擦り切れるような日々を送っていたため、新譜の印象があまり残っていないのだが、tdさんのブログで知ったこの2枚はかなり好き。PreoccupationsはJoy Division的なロックンロールであって嫌いになれるわけがなく(デンマークのIceageを彷彿とさせる。Iceageも新譜出すんだな)、シンディ・リーはゾンビ化したMy Bloody Valentineのような音響と、The Doors的な色っぽさと暗さ、シド・バレット的なポップさを感じ、素晴らしかった。


Preoccupations - Disarray (Official Video)

 

ニヒリスティック・グラマー・ショッツ

ニヒリスティック・グラマー・ショッツ

 

 

Geography [帯解説・歌詞対訳 / ボーナストラック2曲収録 / 国内盤] (BRC564)

Geography [帯解説・歌詞対訳 / ボーナストラック2曲収録 / 国内盤] (BRC564)

 

  

MY DEAR MELANCHOLY

MY DEAR MELANCHOLY

 

 

魚図鑑

魚図鑑

 

 

What is Love?

What is Love?

 

 

PATIO

PATIO

 

 

マーラー(1860-1911) :交響曲 第3番 ニ短調[2枚組]

マーラー(1860-1911) :交響曲 第3番 ニ短調[2枚組]

 

 

 

Mahler: Symphony No. 6 in A Minor

Mahler: Symphony No. 6 in A Minor "Tragic"

 

 

Martinu: Double Concertos for

Martinu: Double Concertos for

 

 

Dowland: Lachrimae

Dowland: Lachrimae

 

 

Haydn: Piano Sonatas Nos. 32, 40, 49, 50

Haydn: Piano Sonatas Nos. 32, 40, 49, 50

 

バイエルン放送響のマーラーハイドンの録音はよく見たら全然新譜じゃなかった(Apple Musicのカタログに入ってきたのが最近だったみたい)。どちらも録音が優れていて「ほー、これはこういう音楽だったのか」と感心させられる部分があった(とくにマーラーのほう)。

クレッセント・ムーン

クレッセント・ムーン

 

そういえばキップ・ハンラハンの新譜もCDで買っていた。Apple Musicで聴けないと容易にスルーしてしまうなぁ……。良くも悪くもいつものキップ・ハンラハン、という内容。

息子とGW

https://www.instagram.com/p/BiLPcqmFFJk/

息子にとってはじめてのゴールデン・ウィークがやってきた。車を買ったので車で帰省してやろうかと思ったが「渋滞中に機嫌が悪くなられると、しんどいよね」という判断から断念。転職以降激減してしまった息子とのふれあいタイムにあてている。

生後、9ヶ月が経過した。育児書によれば「リズムにあわせて体を動かすコもいる」らしい。おお、そうか、と思って、生まれて間もない頃に実験的に聴かせていたカール・クレイグとかホアン・アトキンスなどのガチガチのテクノを再度聴かせたりしていた。


Juan Atkins - Move Mix

言うまでもなく、楽しんでいるのは大人、というか俺のほうであって、息子をエルゴで抱っこしながら、こういうレコードをかなりの音量で再生して、小刻みにリズムをとっていると息子は即寝てしまう。

ラの音のラッパ No.3182

ラの音のラッパ No.3182

 

これまでパーカッションのように床に叩きつけるしかできなかったラッパのおもちゃを急に吹き出したり、目の前でピアノを弾いていたら近寄ってきて鍵盤に手を伸ばしたり、順調にそちらの道への方向付けが進んでいるのかもしれない。

https://www.instagram.com/p/BiIgSiYlk-d/

ジョゼフ・チャプスキ 『収容所のプルースト』

 

収容所のプルースト (境界の文学)

収容所のプルースト (境界の文学)

 

「これは読まなければ……!」と思うような本に出会えることは幸せである。これはインターネットでつながっている友達が話題にしていた。著者のチャプスキは、ポーランド生まれの画家であり批評家。彼が第二次世界大戦中にソ連の捕虜となり、極寒の収容所でおこなったマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に関する講義の記録、というのが本書。今年上半期の「隠れた話題書」、「隠れたヒット作」とも言える本だと思うので、当ブログを読まれているような奇特な方はマストバイ。読もうと思ったときにはすでに品切れになっており「いつ重版がかかるんだ!?」と非常にヤキモキした。「早く手に入れたい……!」本に対して、そんな気持ちになることも昨今では稀だったな……。

ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(1987,2012) - キッチンに入るな

これ自身が優れた書評であるが、こちらのブログ記事でまとめられているように、すでに数々の書評がでている。どの書評も、本書が生まれた環境、極限の逆境において芸術が与える希望のようなものに触れている。それは本書を手に取るきっかけを作る一番のパワーの源泉であるのだが、本が生まれたコンテクストを抜きにしても、大変に有用な本だと思った。

とくに『失われた時を求めて』という作品のコンテクストとなる部分、プルーストが生きた時代のフランスの文化的な背景を解説している冒頭部分。こういうのは改めて「有用である」と言っておきたい。とくにフランスでワーグナーが大流行した時代に、プルーストがその文学的素養や世界観を発展させていたという記述。これはわたしに、アルフレッド・コルトーが《神々の黄昏》をフランス初演した、という歴史的事実を思い出させ、コルトー、そしてジャック・ティボーという音楽家が、この作家とほぼ同時代人であったことを気づかせる。


Thibaud/Cortot - Franck: Violin Sonata in A, 1923 (entire)

それはまるでプルーストのテクストにBGMを添えるような注釈となるだろう。音楽と同様に絵画に関する記述は、テクストに色彩を添える。とにかく、まだ『失われた時を求めて』を読んだことのない人にとっては「チャレンジしてみようかな」という刺激を与えられる本であろうし、わたし自身はいつかチャレンジしようと思っていた「再読」に手をつけてみよう、と思っている。

ところで、収容所で生まれた「作品」というくくりではメシアンの《世の終わりのための四重奏曲》を思い起こさせる。「ヨハネの黙示録」に曲想を得たこの楽曲の原題は、直訳すれば「時の終わりのための四重奏曲」となる。ほとんど同時期に、ソ連の収容所とドイツの収容所で「時」にまつわるモニュメントが生まれたのは単なる偶然なのだろうか?


Messiaen: Quatuor pour la fin du temps / Weithaas, Gabetta, Meyer, Chamayou

綿矢りさ 『勝手にふるえてろ』

 

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

 

いまこのエントリーを書きはじめた瞬間、新刊当時、新宿のサザンテラスのほうの紀伊国屋で派手に売り出されていた記憶がなぜか蘇ってきた。昨年、現代日本を代表するスーパー若手女優、松岡茉優様主演で映画化された小説『勝手にふるえてろ』、綿矢りさの原作を読む。映画は未見であるのだが、読書中の脳内イメージは完全に松岡茉優様の御姿で出来上がっていた。

綿矢りさといえば、わたしはかつてこんな風に評したことがある。

人間の描写に強烈なブラックネスが混じっているところが、綿矢りさの小説の好きな部分だった。彼女は、冴えない人間を、悪意さえ感じるほど鋭く、柔らかい表現をつかって描いてしまう。時速200kmぐらいでマシュマロを投げつけて、人を殺す感じの、そうした凶悪さがすごく好きだった。

本作の主人公は、冴えないおたく女性。その冴えなさ、痛さ加減の描写には、作家の天才が遺憾無く発揮された名作といえよう。小説のほとんどが主人公の内的な独白で占められているのだが、それがいちいちおたくっぽい。おたくっぽい自意識の過剰が最高だし(「おたくのくせにテクノが好きな私は」)、「視野見とはイチを見たいけれど見ていることに気づかれないためにあみ出した技で」という最高のフレーズで冒頭から持っていかれてしまう。綿矢りさはマジで天才。

主人公の振る舞い、意識の痛々しさを受け止められるオトナになっていて良かった、と心底安堵する。

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按田優子 『たすかる料理』

たすかる料理

たすかる料理

 

代々木上原にある人気飲食店「按田餃子」の主宰者による著作。わたし個人はこのお店に足を踏み入れたことはないのだが、妻がファンらしく、本書も妻が買っていた本なのだった。

帯には「自炊はわがままでいい。台所にしばられず、自分らしく食べて、生きるには?」とある。通常の「食」に関する本とは一味違った食文化に関する本だと思った。ましてや「グルメ本」では決してない。 実のところ、文章のスタイルがやや苦手とする部類に属する本ではあるのだが、大変興味深く読んだのは、その「台所にしばられない」というスタイルなのだった。

現代の高度文明社会に生きている人間であれば、おおむねそのライフスタイルは「定住スタイル」であろう。なかにはホテル暮らしの人もいるかもしれないが、いかに引越し魔の人であっても、基本的には家を持ち、そこを拠点に暮らしている。そこには使う使わないを問わず、台所があり、自炊するのであれば、その台所を使うことになる。

本書が興味深いのは、台所を使って自炊をする定住スタイルのなかに、原始社会めいたスタイルが移植されているように見えるところ。台所で毎日気合をいれて「料理をする」のではなく、肉や豆をまとめて「加熱」し、味を変えながらずっと食べ続ける、そういうのが自分にはあっている、と著者は言う。

掲載されているレシピは、凝った料理、という感じではない。逆に、粗野、というか簡素である(ただし、雑でも、乱暴なわけでもない)。これにより、定住のなかで機動力が生まれていく。

行き着く先は土井善晴の名著『一汁一菜でよいという提案』と重なるのだが、方法論がまるで違っている。「品数を減らすけれども、一品一品に丁寧に心をこめる」という土井の方法論は、日常に気づきを与えるタイプの本だったけれど、本書は「え、そういうスタイルもあるのか!」という驚きをもたらしてれるよう。なにかライフスタイルが地滑りを起こしそうな怪著なのではないか、とさえ思える。

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逸見龍生・小関武史(編) 『百科全書の時空: 典拠・生成・転位』


百科全書の時空: 典拠・生成・転位

百科全書の時空: 典拠・生成・転位

 

学生時代からゆるく興味を持ち続けている『百科全書』に関する新しい研究書が出たので手に取った。『百科全書』と言えば、18世紀にディドロダランベールらを中心に進められたフランスの百科事典プロジェクトである。浩瀚なこの書物に収められた7万を超える項目がどのような典拠をもとに執筆されたのかを分析したデータベース作成などの国際的な研究チームに参画した研究者たちが、20年以上にもわたって繰り広げられた「知の運動」に取り組んだひとつの成果が本書となる。

「百科事典」という言葉から現代の人は、なんらかの権威的なものを帯びた知のカタマリ的なイメージを抱くかもしれないが、実はそうではない。

『百科全書』は(さまざまな思想の)総合をなすものではなく、むしろ循環をなすものである。したがって『百科全書』の体系なるものを探しても無駄である。

そして、

『百科全書』とは、知の静的な総合ないし総体ではない。真理へ向かおうとする個々人の思考の運動を生み出すテクストの集積=装置である。

以上のとてもカッコ良いフレーズを引用しておこう。先日、千葉雅也の本を読み終えたばかりのわたしにとってこれらのフレーズは「動きすぎてはいけない!」という言葉を思い起こさせるばかりであるのだが、実のところ、この書物に掲載された項目のなかには、ほとんど他の時点から剽窃したような文章も収められている(そもそも『百科全書』自体が、先行するイギリス発の『チェンバース百科事典』の翻訳プロジェクトから始まっているのだが)。

まだ著作権だとか出典の明記などのルールがしっかりしていなかった大らかな時代だったとはいえ、現代の百科事典とはどうやら違った雰囲気の書物らしい。また、ある項目では典拠となった情報からはちょっと違った情報が足されたり、引かれたりして掲載されている。ただ単にほかの本からパクってくるだけでなく、改変までされているらしい。本書の研究者たちは、典拠からの『百科全書』に現れたときの距離に注目をしている。オリジナルからどう変えられているのか。ここに当時の知のあり方や執筆者の思想が現れてくる、というのだ。

引用の後者は「『百科全書』項目の構造および転居研究の概要」の冒頭に据えられた文章。この論文は「『百科全書』がどのように書かれているのか」を原文にあたっていない読者でもさっくりとつかむことができるので「はじめに」のあとに読んでおくと良いと思う。

収録論文の内容で最も心惹かれたのは「中国伝統医学とモンペリエ生気論」。現代ではレイヤーが異なるところで共存している東洋医学と西洋医学が、18世紀に交錯し、共鳴していた瞬間をうかがい知れるところが刺激的だった。

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