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文化的消費活動の日記

『土曜日の朝と日曜の夜の音楽。』

 

仙台の友達がインスタで話題にしていたムック。『& Premium』のサイトで連載されていた記事をまとめたものらしい。この雑誌、我が家で唯一定期的にチェックしている雑誌で、まぁ、好きと嫌いのあいだにあるセンス(もっと正確に言えば、好きになってはいけない、ウェルメイドな「ていねいな生活」というか)なのだが、気持ち良い音楽セレクション、って感じでこの一冊は役に立った。気になったものを片っ端からApple Musicで聴いていく。そして、このムックに寄せられた軽い文章のノリで、音楽について書いていきたい気分にもなっている。

 

高橋ユキ 『つけびの村: 噂が5人を殺したのか?』

 

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

つけびの村  噂が5人を殺したのか?

 

今年、SNSで話題になったnote発のノンフィクションの書籍化。山口県の(いわゆる)限界集落で起こった連続放火事件についてのルポタージュ。

これは一種のアンチ・ノンフィクション、ともいえるのではないか、と読みながら感じていた。著者はあとがきのなかで「ノンフィクションが売れない現状」について触れながら、ぼやきにも近い思いを吐露している。

いま、普通の”事件ノンフィクション”には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている。犯人の生い立ちにはじまり、事件を起こすに至った経緯、周辺人物や、被害者遺族、そして犯人への取材を経て、著者が自分なりに、犯人の置かれた状況や事件の動機を結論づける。そのうえで、事件が内包している社会問題を提示する。(中略)いつの頃からか、出版業界は、このスタイルにはまっていない事件ノンフィクションの書籍化には難色を示すようになってしまった。

わたし自身、ノンフィクション*1にそれほど親しみがあるわけではないから、この現状に加担するもののひとりである、という自覚はある、一方で、そうした現代のノンフィクションの典型例についても思い当たるものがあった。いわば、そのスタイルは、(あえて覚えたての思想の言葉を使って説明するならば)無数/無限に意味づけできる現実を有意味的に切断すること、と位置づけることができよう。そして、このスタイルを、著者はとらない。というかそのスタイルをさまざまな理由から断念している。だが、その断念から生まれたものこそが本書の一番の魅力であり、読みどころなのだろう。

一言で言えば「この村、なんなのか?」という意味づけしがたい「不気味さ」への直面である。事件の異様さもさることながら、『魔女の宅急便』のキキのイラストが屋根に書かれた家屋*2、事件の前に起きた暴力事件をあっけらかんと語るその口調、被害者遺族が亡くなった途端にガラリと変わる村人の評価……。著者が目の当たりにした困惑や恐怖を読者は追体験する。社会問題のような切り口に還元しきれない、というか、そうした切り口からズレた現実の気持ちの悪さ/居心地の悪さは「もしもシャマランが一人称視点のホラー映画を撮ったなら」というイメージを抱かせる。

現実の時間の流れは「被告人保見光成の死刑判決が確定する」という事実に収斂されていくのだが、著者の切り口はより拡散していくようである。そこでは「責任能力の認定の恣意性」や「被害者のケア」といった制度や現状の問題点の指摘もおこなわれているのだが、追加取材の結果より詳述される金峰神社の歴史や祭りについての記述が諸星大二郎の『妖怪ハンター』を想起させ、味わい深いものがあった。この一連の記述は、いずれ消滅するであろう村の末期の様子を描いたものとして『百年の孤独』の終盤にもつながっていく……。

書籍化前にもnoteで課金して全篇を読んでいたのだが、書籍化にあたっては追加取材がおこなわれ、ヴォリュームは倍ぐらいになっている、のでnote版を購入した人でも買う意義は充分、というか、note版を買ってこのテクストの不気味さにハマった人こそ、書籍を買うべき、と言えるだろう。

*1:というジャンル自体の定義についても再度確認するなら、おそらくは、社会問題・事件に取材したジャーナリスティックなテクスト、ということになるだろう。歴史書の類はおそらくはそこには含まれない、ハズである。

*2:この建物の様子はGoogleストリートビューでも確認できる。というか村の様子はほぼストリートビューで見れるようになっているので、本書を読みながら確認していくことをオススメしたい。犯人と結論づけられている保見光成の自宅も見れる。

淵田仁 『ルソーと方法』

 

ルソーと方法

ルソーと方法

 

東浩紀の著作を読んでいたときだったか「2020年の東京オリンピック以降にルソーがくる!」という神託めいた直観が降りてきていたのだが、そんなタイミングでTwitterで交流のある著者*1のルソー研究書がでた。 博論をもとにした本。ルソーは一切読んだことがないのだが「ルソーがくる!」という直観が確信に変わるような一冊であった。面白かったです!

全体は2部に分かれており、第1部は「認識の方法」、第2部は「歴史の方法」となっている。大きくは(タイトルにあるとおり)ルソー「と」方法であり、また、過去の研究においておこなわれた「ルソーは発生論的方法/系譜的方法をとった思想家である」と評価を「その評価、なんかまかり通ってるけれども、実際それってどういう方法だったのよ、単なるレッテルばりでしかなくない?」と問い直すものでもあろう。そこではコンディヤックを代表としたルソーに先行した思想家の方法との対比がおこなわれながら、実に今っぽい、東京オリンピック以降にくるであろう思想家、ルソーの新たな姿が浮かびあがる。

冒頭で引用されてる書簡の内容からしてルソーは「今の気分」である。ここでルソーは「命題はかなり豊富に湧き出るくせに、帰結は一向に見えないのです」、「私の頭に浮かぶのはばらばらなことばかりで、私の著書のなかで観念を結びつけるというよりは、私は山師のやり口のような〔命題の〕つなぎ方を使い、貴方がた大哲学者たちはまっさきに騙されてしまわれるのです」と告白する。

これを適当な思いつきを多動力にまかせて、それっぽく言ってみるテストしてるだけ、と曲解することも可能であろうが、当たらずとも遠からず、と言ったところかもしれない。この引用部には、コンディヤックの思想の中心となる「自同性原理」(雑な理解を提示するのであれば、AとBを結びつける際に、AとBの同一性を根拠として結びつけていく論法)を拒否するルソーの態度が示唆されている。

ルソーの態度とは、基本的には自同性原理による分析でおこなわれる一般化・抽象化の拒否であり、もう少し具体的に言えば「AとBって同じじゃないよね!!」ということである。同じじゃないから、一般化・抽象化は容易にできない。ただ、我々は一般化・抽象化を実質的におこなっている。それを可能にしているのが、理性なのであり、それは「内的感覚」からくる「それっぽくない、ソレ?」という感覚によって支えられている。無限背進に陥る推論の連鎖を切断するための理性、内的感覚。このへんも「今の気分」だ……。

本書の読みどころといえば「あとがき」も忘れてはならない。本論は短い文章によって明晰に構成された、いわばザッハリッヒな論述が続くのだけれども、あとがきがエモい。著者の学問遍歴が物語的に語られているのだが、エモすぎる。先ごろ復活を果たしたNumber Girlの『シブヤROCKTRANSFORMED状態』に収録された「Super Young」*2において間奏とともに聞くことのできる向井秀徳の語りのオマージュが認められる。前代未聞であろう。アサヒスーパードライを飲みながら、ズレた眼鏡をかけなおしながら読まれるべき本である。

*1:たしか東大で開かれたヒロ・ヒライさんの特別講義後に一度だけ飲んだ記憶がある。その際、学年が同じ、ということが判明し、音楽の趣味が似ているのでちょいちょいやりとりさせていただいている

*2:いま気づいたが、これ Superchunkをもじった曲名なのか?

筋トレを1年間続けてみたが、そろそろ限界かもしれない

sekibang.hatenadiary.com

前回報告からまた半年経過。筋トレをほぼ毎日やりだして1年ぐらい経過したが、はじめの半年ぐらいで劇的な変化が終わってしまい、その後、はっきりとわかるような変化がなくなってしまった(写真)。筋トレの先達曰く「ここから先に進むには脂肪が乗るのを恐れず食事量を増やしつつ、挙上重量を少しずつ上げていくしかない」とのことである。つまりはもう限界なのである。

それで最近は「ダンベルを買うか、ジムにいこうか……」みたいなことを考えながら、ひとまず筋トレのやり方をスロー・トレーニングにシフトしてみたり、公園の鉄棒を使って背筋鍛えるメニューを取り入れたりしている。正直、モチベーションがあがっていない。

以下に最近のルーティーンなどを書き起こしてみる。

筋トレ

www.freeletics.com

筋トレはすべてこのアプリで管理している(課金してるが、アプリが組んでくれるトレーニングメニューは一切やってない)。

プッシュアップ

プッシュアップバーを使って、手と手の間隔を肩幅の1.5倍ぐらいに開いてプッシュアップ。10回を4〜5セット。これをやった次の日は、プッシュアップバーを使わず、手と手の間隔を極限まで狭めてダイアモンド・プッシュアップ。10回を4〜5セット。これを交互に繰り返し。

ACTIVE WINNER プッシュアップバー

ACTIVE WINNER プッシュアップバー

 

シットアップ

ほぼ毎日。腹筋用のマットを使ってゆっくり25回を2〜3セット。 

背筋

鉄棒使って3日に一度ぐらい斜め懸垂。10回を3〜4セット。背筋が弱すぎて全然できない。

下半身

ルフレイズを25回を2〜3セット。ランニング中に捻挫してからやりはじめた。雨などで走れない日・ちょっと寝坊してランニングにいけなかった日はスクワット25回を2〜3セット。

有酸素

ランニング中心。基本は平日の朝5km、休日に10kmぐらい。起きれない日もあるので平均でいうと週に15〜20kmぐらいの走れれば上出来なほう。月に100km走るのが基本的な目標値。

食事・サプリなど

普段の食事(甘いだけのものを間食でとらない。平日は付き合い・仕事じゃないかぎり飲酒しない。基本的にランチはお弁当)、プラス、プロテインを朝と晩に。低脂肪乳に溶かして。あと仕事中に小腹がすいたら、プロテインがはいったチョコレートバーを食べたりしている。が、トレーニングの量に対してタンパク質の摂取量が多いような気がしないでもない。

エクスプロージョン ホエイプロテイン 3?(約100食分) ミルクチョコレート味 国産

エクスプロージョン ホエイプロテイン 3?(約100食分) ミルクチョコレート味 国産

 

プロテインはこれが結構安くて、味もそこそこ美味しい(朝はインスタントコーヒーを混ぜて飲んでたりする。スタバの甘いドリンクみたいな感じで美味い)。

ON BCAA 1000 200粒カプセル 海外直送品

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あとアミノ酸サプリメントも夜2錠・朝2錠で飲んでる。劇的な効果はわからないが、休日に10kmぐらい走って夕方に「なんか疲労がいつもより残ってる感じがあるな」というときに追加で2錠飲んでみると2時間後ぐらいに「あれ? なんか疲れぬけてる?」と思う時がある。

あとビオフェルミンも。プロテイン飲んでてなんかめちゃくちゃおならが臭くなったりしたので。飲み続けてたら問題が改善された。 

……とこんな感じ。有識者の方がいらっしゃいましたらなにかアドヴァイスやコメントなどをいただけると幸いです。こういうトレーニングが良いよ、とか、こういうアイテムが良いよ、とか。

三谷太一郎 『日本の近代とは何であったか: 問題史的考察』

 

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

 

「アジアのなかでの日本」を考えてみたくなり、そのテーマ設定の一環で手にとった一冊。政党政治、資本主義、植民地主義天皇制を問うべき問題に設定して日本の近代を振り返った本。日本政治外交史の偉い先生(刊行当時80歳を超えてる)が書いてあるのだが、これは正直「大先生の本」、と言わざるをえない。自分の好みの問題が多分にあるけれども「ですます」体の文章とどこに話を持っていくのかよくわからない論述スタイルが読みにくくて仕方ないし(全然頭に入ってこない。Amazonレビューの評価が異常に高いのはなぜだ……)、なんか日本の近代史がスッとわかりそうなタイトルなのに全然わかんなかった。

冒頭「そもそも近代ってなんなんすかね」ってことで、ウォルター・バジョットを参照しているのだが、ここもまとめ方がよくわかんない。バジョットは近代と前近代のメルクマールに「議論による統治」を置いているらしいのだが(前近代は慣習によって支配された世界とされる)「前近代にも議論による統治はあった(古代ギリシャとか)」とか蒸し返し(?)てて、どっちなんだよ! と混乱する。

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『新・韓国現代史』ぐらいスッとはいってくる近現代歴史の新書はないものか……。完全に今回は読む本を間違えた。初学者にはややこしいし、全然オススメできない。面白い部分もないことにはないんだけど……一言でいうとダルい!! エピローグ的な終章でも「原発事故は戦後日本の近代化の挫折であり……」みたいな雑な感想を述べていてより印象が悪くなった。

フミコフミオ 『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』

 

まずは、ご恵投いただいたことへの感謝を(ありがとうございました)。インターネットを通じて出会ってもう10年ぐらいかそれ以上のお付き合いの友達がこうして単著を出されてブレイクしていることは、フミコさんの前歯がブレイクした瞬間に立ち会った者として大変うれしく思っております。

一体どういう本なんだろう、どういう切り口で紹介したら良いんだろう、と読了して少し悩んでしまうような本。自己啓発本ではない(章のタイトルや見出しのタイトルは無理やり自己啓発っぽい感じになってるけども)し、役立つ情報があるわけでもない。あるのは普通の会社員・管理職・配偶者にいろいろと握られてしまっている男性のボヤキである。

その一方で、矢継ぎ早に繰り出される引用フレーズの面白さや文章のキレはブログと変わらずだ。「よーく考えよう お金は大事だよ」とか、コレなんだっけ……と思ってしまう部分も多々。調べたら15年ぐらい前のCMが元ネタで「これ、ギリギリ通じないんじゃねーの」とツッコミたくもなる*1。ところどころで同じ会社員としてめちゃくちゃわかる部分があって、そこも良かったな*2

 「なんなんだろう、この本」といういわく言い難い感じは全然収まっていないんだけれど、それがフミコさんという人の本質、とも言えるのかもしれない。本文中では「普通の会社員・管理職・配偶者にいろいろと握られてしまっている男性」として一貫しつつも、見返しにいきなりブコウスキーの引用(あとがきでもブコウスキーへの言及がある)があってカッコ良すぎるし……。

*1:そのCMに出ていた矢田亜希子は、その後、お金の前にいろいろと考えさせられることがあったと思う。

*2:普段、仕事の悩みについてボヤキあったりしているから余計に。普段からの付き合いもあるから、一般読者としては全然読めていないわけである。

向井雅明 『ラカン入門』

 

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

ラカン入門 (ちくま学芸文庫)

 

こないだ読んだロザリンド・クラウスの本ラカンが援用されてて全然わからなかったのをきっかけに、ちゃんとこういうのを読めるようなってみたいな、と思って『ラカン入門』を。自分のブログの過去ログを漁ってみたらこれで入門っぽい本を読むのが3冊目らしい。もはやラカン入門のベテランの域に達しているといえよう。

全体は3部にわかれており、1部で前期ラカンラカンのテクニカル・タームの基本を説明し、2部で中期ラカン、3部で後期ラカン。分量としては1部と2部が同じぐらいで、3部は短め。全体の感想だけ先に述べておくと、1部は自分にはすごくよくわかりやすかったが、2部以降はいつもラカンを援用した文章を読むたびに感じる「なにいってんだ」という感じに途中でなってしまい、息切れ、力尽きた。あと索引がないのが、何度も読むためにはちょっと使いづらい……。

でも1部はホントに「見えるぞ、私にも敵が見える」って感じになった。それは千葉雅也とかを去年ぐらいから短いスパンで読んできたこともあると思うし(とくに『意味がない無意味』)、あと息子という、言語習得の真っ最中であり、非コギト的主体(自律した自我によって統一された意識的主体、のようにまったく見えない存在)と暮らしているせいもあると思う。ちなみに息子は現在、母親にべったりの時期であり、わたしになにかをされることをすごく嫌がる。父による去勢脅迫の段階のようである。

ひとつ漠然とした理解をえたものとしては、精神分析っていうのは「なんでこういうことをしてしまったんだろう」という事柄に対してなにか答えを与えてくれる、ようなものなのかな、と。子供の行動をみてると「なんで!?」っていうことばっかりだけど、そういうことって大人でもあるし、それって結局、意思ではうまく説明できないことなんだよな。

読みながらバカの一つ覚えのように、ものごとをラカンの言葉で分析したくなったのはご愛嬌、ということで……。

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