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文化的消費活動の日記

横山光輝 『三国志』

 

三国志全30巻漫画文庫 (潮漫画文庫)

三国志全30巻漫画文庫 (潮漫画文庫)

 

 雑にいろんなものを読んでいるので、雑学に富む人物と評されることが多いわたしだが、そのナレッジベースにもいくつかの鬼門があり、たとえば「戦国時代」、「幕末」、そして「三国志」があげられる。これらの鬼門について、いつかはどこかで、と思っていたのだが、勤務先でちょうど横山光輝の『三国志』の話をされ、昨年末ぐらいから話題になっていた横山光輝の『三国志』と日経新聞のコラボにも出会い……というきっかけがあって、今年の正月から一生懸命読んでいたのだった。さすが名作漫画だけあってとても面白かったです。

三国志ファンの人からすれば、なにを今更、という話なのかもしれないが、魏・呉・蜀の三国志、蜀といえば、劉備玄徳に関羽張飛に、諸葛亮孔明がいて、みたいなことは、三国志ほとんど知らないわたしでも知ってるわけだ、けどさ、漫画読んだら、孔明はなかなか出てこないし、劉備が蜀を治めるようになるまでが、すげえ長いのね。そこでびっくりしてしまった。

これ、ホントに孔明がでてこなかったら、人気でなかっただろうな、とも思う。孔明が出てくるまでは、なんかわちゃわちゃした戦ばっかりで。作戦といえば「退却した、と敵に思わせておいて深追いさせたところを叩く」みたいな(これ、全編を通してよく出てくる作戦なんだけど)ものばっかりじゃん。それが孔明がでてくると、ヒューマン・リソース・マネジメントだとか企業経営じみた話にもなるし、物流と情報が大事になってくるしさ。だからオッサンにも人気がでるのか、と。

わたしも会社員なんで、すげえわかる部分があって。孔明にやられまくってメンタル病んじゃう曹真だとか、部下に対するパワハラが原因で死ぬ張飛だとか、調子に乗ってたら大失敗してプロジェクトを台無しにしてしまう馬謖だとか。会社員あるあるかよ、と思ったね。孔明もほとんど過労死みたいな死に方だし。ある能力が尖りまくった人物よりも、バランス型の人間のほうが長生きしてたりさ。まったく身につまされる。

平松洋子 『サンドウィッチは銀座で』

 

 頭を使わないで、いい気分になりたいな、っていうときに食関連の本を読みたくなる傾向がある。本書を手にしたのもそういうタイミング。『孤独のグルメ』がメガヒットした谷口ジローの挿絵にも惹かれた。食関連のエッセイストである筆者があちこちを歩いて、美味しいもの(ごく庶民的な、定番のもの、そしてどことなくノスタルジーさえ感じさせるもの)を食べ歩くエッセイ。特別なにかが良い本ではないのだけれど、ところどころ「ああ、良いね、神保町のランチョン、良い店だよね、曰く言いがたい、風情があるよね」と共感するものがある。

ただ、この本の文体、読み続けていると微妙な気持ちになってくるのだった。故・永六輔が「男のおばさん」を標榜していたのとは真逆の「女のおじさん」的な感性がある。もっともこれは筆者のキャラクターではなく、掲載誌『オール讀物』向け、ということなのかもれないけれど。

釈徹宗 『不干斎ハビアン: 神も仏も棄てた宗教者』

 

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書)

不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者 (新潮選書)

 

不干斎ハビアンの名前を知ったのは、平岡隆二さんの研究がきっかけだったと思う。16世紀から17世紀の、元禅僧でありながらイエズス会修道士となった日本人で、当時の日本で信仰されていた各種の宗教を批判的に比較し、キリスト教を広めようとする著作『妙貞問答』を記したが、その後、棄教して今度は逆に反キリスト教の立場から批判書『破堤宇子』を記した人物。本書『不干斎ハビアン: 神も仏も棄てた宗教者』は、そのハビアンを扱った一般向けの本。著者は現役の僧侶で、大学の先生。

先に全体的な評価をしておくと、この本、結構期待して読んだんだけど、あんまり面白くなかった。ハビアンの人となりを分析する箇所で「わたしも宗教者だから気持ちがわかるんだけども」みたいなノリでプロファイリングに入ったり、突然ベイトソンへの言及があったり、内田樹を引用してみたり(あとで調べたら、著者は内田樹と親しい人物だったらしい。先に知ってたらこの本、読まなかったかも)、悪い意味で(?)一般人向けの本、っていうテイストで。大学の先生がこういうモードの本でやらかしがちな、全然面白くないユーモアも随所に挟まれている。そういうのすごく苦手。研究書の体裁でもなければ、一般向けにもアピールできてない中途半端な本。

『妙貞問答』と『破堤宇子』の内容を見ていく部分も、結局、仏教からキリスト教にいって、そのあとまたキリスト教を捨てちゃう、っていう特異なプロフィールを持つ歴史上の人物のメンタリティがどんなもんだったのか? をテクストのパッチワークで作ってるような感じ。これならハビアンの著作を直接読んだ方が面白いんではなかろうか……。

南蛮系宇宙論の原典的交流 (比較社会文化叢書 vol.27)

南蛮系宇宙論の原典的交流 (比較社会文化叢書 vol.27)

 

 

南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破堤宇子 (東洋文庫 (14))

南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破堤宇子 (東洋文庫 (14))

 

 

机の下でごちゃごちゃになったコードをキレイにするために

https://www.instagram.com/p/BNQjdp0g006/

まずはこのわたしの好きなものと必要なものが全部集まって要塞化したデスクをみていただきたい。テレビをみていないときにわたしは、このデスクの前で過ごしている。それは、男の城で過ごす感じがして、とても楽しい時間なのだけれど、問題もあって。写真で目立つものだけでも、Mac、ディスプレイ、レコードプレーヤー、アンプ。目立たないものだとスキャナーや、外付けHDD。写っていないところで、WiFiルーター……などとにかく電気を使うものだらけなのだ。

https://www.instagram.com/p/BPgjDzpBhes/

コード整理前

2つのコンセントには、ケーブルタップを2つ刺してあり、それらをルンバの攻撃から守るために使ってなかったゴミ箱に突っ込んである、というかなりの惨状。ちょっとあまりにひどいんで、こういうものを買ってみた。

 さっそく使って見た様子。

https://www.instagram.com/p/BPgjHC5BUzL/

整理後

目隠しにすぎない感じなのだが、ごちゃごちゃしたものが見えなくなるだけでちょっと楽になる。ケーブルタップもWiFiルーターも収納できるし、あとほとんど組み立てる手間がかからないのが良かった。

トーマス・シェリング 『ミクロ動機とマクロ行動』

 

ミクロ動機とマクロ行動

ミクロ動機とマクロ行動

 

 昨年の暮れに亡くなったノーベル経済学賞受賞者の本(これも山形浩生さんのブログで、面白そう、と思った)。人が他人のふるまいをみて自分の行動を決定する(ミクロ動機)と、そのつながりによって社会的な現象が生まれる(マクロ行動)。これを経済学のさまざまなモデルを使って捉える方法を紹介している。取り上げられている事象や、筆者の語り口がとても愉快。たとえば均衡分析をする経済学者が「均衡状態」をやたらとありがたがっているいる点を皮肉って「首吊り死体は揺れが止まったときには均衡しているわけだが、誰も死者が万事OKだとは思うまい」とか表現する。クルーグマンが絶賛した本、と帯にはあるけれど、経済学ってこういうことも扱えるのか、とイメージが変わりそうな一冊だと思う。なお、数式はほっとんどでてきませんので、数式アレルギーの人でも大丈夫です。

アープレーイユス 『黄金の驢馬』

 

黄金の驢馬 (岩波文庫)

黄金の驢馬 (岩波文庫)

 

 紀元2世紀に書かれたとされ、現存するローマ時代の小説(散文で書かれた物語)としては唯一のものとなる作品。2世紀だからラテン語文学の「白銀期」のものですかね。ずいぶん前にフランセス・イェイツの本を読んだときに、ジョルダーノ・ブルーノが影響されたんだったか、ルネサンス期の魔術に影響を与えたんだったか、という記述があって気になって買ってあったのだった。魔術にはまっていた青年がうっかりロバに変身してしまい、あちこち売られたり、殺されかけたり、獣姦ショーの見世物にされそうになったり辛酸を舐めまくる、というお話。

ロバに変身して主人公が辛酸を舐める話、といえば、ノーベル文学賞作家、莫言による『転生夢現』が想起される(文革で地主の男が処刑され、ロバやブタに生まれ変わる奇想小説)。莫言の元ネタのひとつなのかもしれないが『黄金の驢馬』自体も、さまざまなネタ元があるという。ロバに変身してしまうというモチーフはそんなに珍しいものではない。

面白いのは、本書の冒頭、語り手が「これからギリシア風の物語を語って聞かせますよ」と読者に宣言するくだり(語り手もまた、元ネタの存在を示しているのである)。ここでギリシア語からラテン語へとの翻訳がいかに難しいかが語られる。大西英文の名著『はじめてのラテン語』によれば、文字を持たなかったローマ人たちはギリシア人たちの文字に影響をうけて自分たちの文字を獲得した。『黄金の驢馬』にもそういう文化の継承みたいなものが感じられて感激する。

……などというと大仰な物語のような紹介になってしまうが、基本的には滑稽な話だし、暴力描写もエロ要素も満載。とくに女体の美しさや女体を楽しまんとする描写がとても生々しくて良かった。これは訳も素晴らしくて。男女の接吻の様子なんか「開いた口からかおる息吹は肉桂(キンナモン)のかぐわしさ、寄せあう舌のさわりも欲情に仙酒(ネクタル)のあまさをしずらせるのに」、これですよ。このリズムといい、言葉の響きといい、最高です。本書の前半部分は呉茂一の訳。この最高部分も呉大先生による。松平千秋大先生と呉大先生によるこうした翻訳仕事は、20世紀の翻訳文化の宝だなぁ、と思う。

関連エントリ

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井上智洋 『ヘリコプターマネー』

 

ヘリコプターマネー

ヘリコプターマネー

 

 これも山形浩生さんが紹介していた本。「誰もかれもが生き残りのために社畜として働かざるを得ず、そこから脱落した者はニートなどと呼ばれ肩身の狭い思いをしながら生きていかなくてはならない」、「若年男子の草食化の原因も半分くらいは長く続くデフレ不況が原因だろう」という本書冒頭の主語が大きい北斗の拳的社会描写、そしてに産経新聞の記者のレベル感の草食男子分析に、えー、なんかこれアレな本か? と不安になったが、大変良い本。

「失われた20年」の日本経済(平成デフレ不況)のメカニズムと、そこから脱却するために行われた政策(いわゆるアベノミクス)がなにを狙ったものなのか、そしてどのへんがマズかったのか、がわかりやすく解説されている(と同時に、現代の日本経済をモデルにしたマクロ経済学の教科書的な本でもある)。読んでいて、これまで聞きかじり、読みかじってきた経済学についての知識が整理される感じがして良かった。

で、書名の『ヘリコプターマネー』。一般的には「お金のバラマキ」とした批判的に理解される言葉だけれども、これが今のアベノミクスのうまく言っていない部分を乗り越える方法のひとつだ、と著者は言う。BI(ベーシック・インカム)だ、と。わたくし、これまでBIのことを「え、国民皆生活保護制度みたいなこと? そんな社会でだれが働くの?」とか思ってたんだけども、本書を読んだら、おお、そういうのもあるのか、アリかもね、と思ってしまった。

『ヘリコプターマネー』っていうシンプルなタイトルはすごい損しているような気がして。『ヘリコプターマネーが最強のマクロ経済政策である』ぐらいカマしても良かったんじゃないだろうか、と思う。「残念ながら今の日本には、マクロ経済学に基づかずに、自民党支持とか右派という理由でアベノミクスに肯定的だったり、民進党支持とか左派、リベラルという理由でアベノミクスに否定的だったりする人が多く見受けられる」。おっしゃる通り。安倍晋三が大嫌いだから、アベノミクスにも懐疑的だ、という人になるべく読んでいただきたい一冊。

コンパクトマクロ経済学 (コンパクト経済学ライブラリ)

コンパクトマクロ経済学 (コンパクト経済学ライブラリ)

 

 マクロ経済学の基礎の基礎についてはさすがにこのページ数では触れられていないので「経済学、かじったことなし」な方には、飯田泰之先生・中里透先生によるこちらの教科書を読んでおくことをオススメする。