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文化的消費活動の日記

辻山良雄 『本屋、はじめました: 新刊書店Title開業の記録』

 

本屋、はじめました: 新刊書店Title開業の記録

本屋、はじめました: 新刊書店Title開業の記録

 

ここ半年ほど片道2時間ほどかけて通勤する日々が続いている。18時に現場を出たら家につくのは20時。息子はそろそろ風呂にはいる時間である。

一時的な現場、とはいえ、そういうのにいい加減うんざりして、いつまで俺はこんな通勤生活を続けるのか、という気持ちになり、そうだ、店でもやるしかない、これだけ本が好きなんだから、本屋でもやるか、ちょうどこないだ住んでる町からほとんど書店が消滅しちゃったし、この町にカルチャーを取り戻すんだ、やるぞ、俺はみたいな衝動で買い込んだ本。荻窪にある新刊書店Titleの店主がサラリーマン時代から開業までを振り返っている。

本屋ってどういうビジネスなの、っていうところがわかって参考になったし、大変そうだな、サラリーマンのほうが気楽で良いかもな、といきなり気持ちが折れそうな本でもある。このTitleという書店には行ったことがないし、中央線沿線の生活圏にもほとんど足を踏み入れることがないからこれからもいくことはなさそう。だけれども、近所にこういう本屋があったら良いのにな、と思う。

自分にとって、本屋って、そういう感覚なんだよな、わざわざ行く感じじゃなくて。すでに欲しいものがわかってたら、Amazonで買っちゃうし。本屋という存在のあり方についても考えさせられる。マイルドな筆致で書いてあるのだが「松浦弥太郎とか高山みなみとか置いといたらセレクトショップ感がとりあえず整っちゃってそういうのってヤダ」とインスタントなセレクトショップ感を軽くdisってるところとか面白い。

ロラン・バルト 『零度のエクリチュール』

 

零度のエクリチュール 新版

零度のエクリチュール 新版

 

世界がロラン・バルトの気分だ、という直観から読みはじめたがなんだかわからない本。訳者が解説するにこの頃のバルトは、自分で使ってる概念もよく定まっておらず、なんかフワッとしたなかで「エクリチュール」と言っている。その「エクリチュール」がなんなのか、ハッキリとはわからない。言語とも文体とも違う、作者が選びうる書きぶり、それってなに? そのふんわりこそ、世界がロラン・バルトを求めるべき所以なのであって……。もう少し読んでみます。

細馬宏通 『うたのしくみ』

 

うたのしくみ

うたのしくみ

 

長らく読みそびれていた細馬宏通による音楽評論の本を読む。楽譜や専門用語をほとんど使わずに、ポピュラー・ミュージックの楽曲を分析したWeb連載と、CDのライナーノーツや単発の評論が収録されている。ジョアン・ジルベルトの「サンバがサンバであるからには」の回はリアルタイムで読んだと思う。先日、この記事(↓)を読んで思い出して買い求めた。

note.mu

本書における楽曲分析は、音楽理論の方向からでなく、音楽における歌(歌詞とメロディ)そして伴奏によって身体がどうなってしまうのか、どうしてこの音楽は気持ちいいのか、という身体感覚の分析からアプローチされている。同時に社会的な文脈も振り返られるのだが、そこで蘇るのも歴史のうえでの、過去のリスナーの身振り、手振り、リアクションなのであって、身体の歴史の本とでも言えるのかも知れない。語られる音楽だけでなく、本書における日本語の音声学的記述を読むときに、読者の身体にもまたインパクトがある。日本語という自明すぎるもの・身近すぎるものを改めて観察する楽しさ、声を出さずに、声帯や唇や舌の動きを確かめたときの、その驚き。

アリソン・ゴプニック 『思いどおりになんて育たない: 反ペアレンティングの科学』

 

思いどおりになんて育たない: 反ペアレンティングの科学

思いどおりになんて育たない: 反ペアレンティングの科学

 

著者はアメリカの心理学者、でありながら哲学にも関心を持ち、プライベートでは3人の息子を育てあげ、いまは可愛い孫にも恵まれて、夫はPixerの共同創業者、というなんかスゴい人。

近年「子供を全員東大に入れたママが教える子ども教育法」みたいなのが脚光を浴びて、個人的にそういうのはちょっとキモいな、いや、あの、個人攻撃になっちゃうけど、あの人、ちょっと怖いよね、と思っていたのだが、そういうのはUSでも一緒みたいでUSではそういう「子どもを望ましい感じ、価値ある感じに育てるための規範」っていうのが「ペアレンティング parenting」という言葉で語られているらしい。そこには価値ある子どもを育てることが、親としての成功、という価値観が隠れている。子どもの成功は親の成功だ、と。

本書は、人間の育児や親子関係が生物学的にみてどうなのか、また人類の歴史の中でどのように家族や育児が変わってきたのか、そして子どもの発達や能力について心理学や神経科学の研究でどのようなことがわかってきているのか、とかなり広範な領域を扱っているのだが、副題にあるような「反ペアレンティング」のトーンは後半になって色濃くなる。

そこでなされる批判は、ざっくり言えば「ペアレンティングが目指す成功って、結局は現代社会で稼げるようになる、っていう極めて限定された価値観でしかないよね」ってことだ。良い成績をとって良い大学にいって良い会社に入る。そのために可能性のひとつであるはずのものが障害とみなされる。ADHDの診断数の増加と「試験の点数重視の政策」には相関がある。ADHDの注意力散漫は、試験の点数を取るための勉強の妨げになるかもしれない。

しかし、注意力散漫は「いろんなところに注意がいく」ということでもある。この「能力」は、場所や時代が変われば、例えば危険が潜むジャングルでは役立つんじゃないのか。昨今の変化が激しい世相において、親の世代が求める価値を子どもに投影することの疑わしさはよりハッキリするように思える。プログラミングだ、英語だ、って今言ってるけど、それ子どもが大人になるときにまだ価値になってるかな? もしかして将来『北斗の拳』の世界になってないかな?(ヒャッホ〜〜〜!!)

「The Gardener and the Carpenter(庭師と大工)」という原題は、大工が家を作るように子どもを親が意図したように育てる*1のではなく、庭師のように子どもが育つのを見守るのが適切なんだよ、ということを意味している。

その見守り型のスタイルこそ、豊かな育児のかたちだ、と思う。紋切り型の表現ではあるが、子どもの可能性を大切にすること。学校の勉強ができなくても良いじゃん、そもそも子育て自体に成功とか失敗とかないじゃん、それ自体価値じゃん、という価値観*2

自分も育児に関わるひとりとして、この価値観には共感するものがある。その一方で、そういう豊かさって経済的な豊かさをある程度前提としているよな、っても思ったりする。今、この瞬間だけ見たらたしかに学校の勉強を頑張らせるって稼ぐためには一番最適で有効な投資先だと思うし、そこにかけるしかない、っていう気持ちも否定できないんだよな……。

関連エントリー

rmaruy.hatenablog.com

担当した編集者の方による紹介記事。

*1:ふと思ったが、この比喩はアリストテレスが用いた家と大工の寓話を下敷きにしているのか?

*2:もちろん、子どもがいないこと/作らないことを否定しているわけではない

ブルース・フィンク 『ラカン派精神分析入門: 理論と技法』

 

ラカン派精神分析入門―理論と技法

ラカン派精神分析入門―理論と技法

 

ラカン入門のベテラン」としての功徳を積むために長らくAmazonの「ほしいものリスト」に入れておいた本を読む。最近、向井雅明の『ラカン入門』を読んだばかりなのだが『ラカン入門』ではじっくりラカンのテクニカル・タームの解説に時間をかけて説明しているのに対して、『ラカン精神分析入門』のほうはラカンフロイトが報告している臨床例や著者自身による臨床例を中心にラカン派の理論や技法を説明する感じで、切り口の異なる入門の仕方。お互いの足りていない部分を補完し合うようで、この順番で読むのは非常に学習効果が高い気がして(あえて嫌いな物言いをすると)わかりみがものすごくあった。

ラカン入門』は正直、途中で息切れしてしまったけども、この本は最後まで息切れすることなく読み切れた。それは著者も懸念してる通り「ラカンを簡単に紹介しすぎてる」ということなのかもしれないが、最後まで走りきれる、というのはとても大事だ。唯一の難点をあげるならば原注がめちゃくちゃ多くて、しかもそこに結構重要なことが書かれているのでイチイチ本の後ろの方を読むのがめんどくせえ、というぐらいなもので。この驚異的なわかりやすさは、アメリカではまったく主流じゃないどころかインチキだと思われている精神分析 を臨床の中で実践し、かつ、それを広めようという気概からくるものなのか。そしてそんなものを日本語で訳していただけるのが、ありがたすぎる。

とにかく「こんなにわかっていいのか」という感じではあったのだが、分析主体と分析家の関係(クライアントに対して分析家はどうあるべきなのか)という指導については、ああ、こういう関係性、上司と部下、売り手と買い手、コンサルタントとお客さん、とのあいだでもあるよね、と思う部分もあり、生活レベルで精神分析がオチてくる感じがある。また、ラカン曰く、メンタルの病はそのメカニズムから3つにわけられる(神経症、精神病、倒錯)。で、ラカンは「ノーマルな人」っていうのはみんな神経症なんだよ、とか言ってるらしいんだ、が、本書の神経症に関する記述を読んでて「これ、俺じゃん!!」と叫びたくなった箇所が何個もある。

さて、そろそろ、「セミネール」関連の本に挑戦してみるか……(いや、日和ってまた別な本を挟むかも……)。

関連エントリー 

sekibang.hatenadiary.com

 

 

鏡リュウジ 『魚座の君へ: 魚座の君が、もっと自由にもっと自分らしく生きるための31の方法 』

 

千葉雅也のこのTweetキッカケで鏡リュウジの本を読んでみる。もちろん名前は知ってるし、なんかイベントで顔をお見かけしたこともあったのだが、その著作を手に取るのははじめて。曰く「魚座は夢に遊び、夢に生きる。」そうで、恐るべきことに、すごい、あ、コレ、分かるわ、俺だわ、ということが書いてあってビックリした。自分も千葉雅也的な使い方ができそうな本。