著者はアメリカの心理学者、でありながら哲学にも関心を持ち、プライベートでは3人の息子を育てあげ、いまは可愛い孫にも恵まれて、夫はPixerの共同創業者、というなんかスゴい人。
近年「子供を全員東大に入れたママが教える子ども教育法」みたいなのが脚光を浴びて、個人的にそういうのはちょっとキモいな、いや、あの、個人攻撃になっちゃうけど、あの人、ちょっと怖いよね、と思っていたのだが、そういうのはUSでも一緒みたいでUSではそういう「子どもを望ましい感じ、価値ある感じに育てるための規範」っていうのが「ペアレンティング parenting」という言葉で語られているらしい。そこには価値ある子どもを育てることが、親としての成功、という価値観が隠れている。子どもの成功は親の成功だ、と。
本書は、人間の育児や親子関係が生物学的にみてどうなのか、また人類の歴史の中でどのように家族や育児が変わってきたのか、そして子どもの発達や能力について心理学や神経科学の研究でどのようなことがわかってきているのか、とかなり広範な領域を扱っているのだが、副題にあるような「反ペアレンティング」のトーンは後半になって色濃くなる。
そこでなされる批判は、ざっくり言えば「ペアレンティングが目指す成功って、結局は現代社会で稼げるようになる、っていう極めて限定された価値観でしかないよね」ってことだ。良い成績をとって良い大学にいって良い会社に入る。そのために可能性のひとつであるはずのものが障害とみなされる。ADHDの診断数の増加と「試験の点数重視の政策」には相関がある。ADHDの注意力散漫は、試験の点数を取るための勉強の妨げになるかもしれない。
しかし、注意力散漫は「いろんなところに注意がいく」ということでもある。この「能力」は、場所や時代が変われば、例えば危険が潜むジャングルでは役立つんじゃないのか。昨今の変化が激しい世相において、親の世代が求める価値を子どもに投影することの疑わしさはよりハッキリするように思える。プログラミングだ、英語だ、って今言ってるけど、それ子どもが大人になるときにまだ価値になってるかな? もしかして将来『北斗の拳』の世界になってないかな?(ヒャッホ〜〜〜!!)
「The Gardener and the Carpenter(庭師と大工)」という原題は、大工が家を作るように子どもを親が意図したように育てる*1のではなく、庭師のように子どもが育つのを見守るのが適切なんだよ、ということを意味している。
その見守り型のスタイルこそ、豊かな育児のかたちだ、と思う。紋切り型の表現ではあるが、子どもの可能性を大切にすること。学校の勉強ができなくても良いじゃん、そもそも子育て自体に成功とか失敗とかないじゃん、それ自体価値じゃん、という価値観*2。
自分も育児に関わるひとりとして、この価値観には共感するものがある。その一方で、そういう豊かさって経済的な豊かさをある程度前提としているよな、っても思ったりする。今、この瞬間だけ見たらたしかに学校の勉強を頑張らせるって稼ぐためには一番最適で有効な投資先だと思うし、そこにかけるしかない、っていう気持ちも否定できないんだよな……。
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