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ブルース・フィンク 『ラカン派精神分析入門: 理論と技法』

 

ラカン派精神分析入門―理論と技法

ラカン派精神分析入門―理論と技法

 

ラカン入門のベテラン」としての功徳を積むために長らくAmazonの「ほしいものリスト」に入れておいた本を読む。最近、向井雅明の『ラカン入門』を読んだばかりなのだが『ラカン入門』ではじっくりラカンのテクニカル・タームの解説に時間をかけて説明しているのに対して、『ラカン精神分析入門』のほうはラカンフロイトが報告している臨床例や著者自身による臨床例を中心にラカン派の理論や技法を説明する感じで、切り口の異なる入門の仕方。お互いの足りていない部分を補完し合うようで、この順番で読むのは非常に学習効果が高い気がして(あえて嫌いな物言いをすると)わかりみがものすごくあった。

ラカン入門』は正直、途中で息切れしてしまったけども、この本は最後まで息切れすることなく読み切れた。それは著者も懸念してる通り「ラカンを簡単に紹介しすぎてる」ということなのかもしれないが、最後まで走りきれる、というのはとても大事だ。唯一の難点をあげるならば原注がめちゃくちゃ多くて、しかもそこに結構重要なことが書かれているのでイチイチ本の後ろの方を読むのがめんどくせえ、というぐらいなもので。この驚異的なわかりやすさは、アメリカではまったく主流じゃないどころかインチキだと思われている精神分析 を臨床の中で実践し、かつ、それを広めようという気概からくるものなのか。そしてそんなものを日本語で訳していただけるのが、ありがたすぎる。

とにかく「こんなにわかっていいのか」という感じではあったのだが、分析主体と分析家の関係(クライアントに対して分析家はどうあるべきなのか)という指導については、ああ、こういう関係性、上司と部下、売り手と買い手、コンサルタントとお客さん、とのあいだでもあるよね、と思う部分もあり、生活レベルで精神分析がオチてくる感じがある。また、ラカン曰く、メンタルの病はそのメカニズムから3つにわけられる(神経症、精神病、倒錯)。で、ラカンは「ノーマルな人」っていうのはみんな神経症なんだよ、とか言ってるらしいんだ、が、本書の神経症に関する記述を読んでて「これ、俺じゃん!!」と叫びたくなった箇所が何個もある。

さて、そろそろ、「セミネール」関連の本に挑戦してみるか……(いや、日和ってまた別な本を挟むかも……)。

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