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文化的消費活動の日記

2017年冬までに飲んだ焼酎

大分出張で麦焼酎に目覚めて以降、一貫して麦焼酎を飲んでいた。普段の晩酌での酒量が「ビールを500ml飲み、それから麦焼酎を「そろそろ寝なきゃな」と思う時間までチビチビと飲む」という感じ。早いときは2週間で一升瓶が空いていた。写真にとっていないが「二階堂」とか「いいちこ」とかも飲んでいる。

「麦って残らない?」と聞かれるのだが、体質に合うのか快調である。この万事快調ぶりは、水か炭酸水で割って飲んでいるからかもしれない。「酒を飲んでいる分以上の水を飲むと良い」理論。1:1の水割りであれば、酒と同じ量の水を飲んでいるのでOK、そういうことなのだろうか。

いろいろ飲んだ結果、自分にとってベストな麦焼酎の割り方を体得した気がする。

飲むときの気温にもよるが、結局は、焼酎と水が1:1、氷なしのトワイスアップで飲むのが一番旨い。氷ありの水またはソーダで割る場合は1:5、または1:6ぐらいの薄めで。ソーダ割りは炭酸の口当たりと焼酎の香りを楽しむスタイルが良い。芋焼酎ソーダは相性に気を使うが、麦は超万能選手なので、水でもソーダでもお湯でもなんでも来いだからエラい。

https://www.instagram.com/p/BaMA7bfhuVX/

#焼酎探訪 壱岐の蔵酒造 / 壱岐っ娘 #Negicco ではなく。麦焼酎発祥は壱岐。安いのに旨い。最高。

https://www.instagram.com/p/Bai8tBJBJO7/

#焼酎探訪 博多の華、とある。麦焼酎を4種の樽で寝かせた原酒をブレンドしたもの、それを世界はウイスキーと呼ぶのではないか? 安い、けど、かなり旨い。

https://www.instagram.com/p/Ba6VTUqhuqn/

#焼酎探訪 八鹿酒造 / 銀座のすずめ黒麹 大分の麦。絶妙。一升2000円。このぐらいのよくわからん麦が普段飲みにはちょうど良いかも。どんな食事の邪魔をしない、それが麦の素晴らしさ。

https://www.instagram.com/p/BcUfwpRhlV6/

#焼酎探訪 尾鈴山蒸留所 / 山猿 最近1升1800円未満の麦ばかり飲んでいたが、ひさびさにちょっとプレミアム(と言っても2000円代)なやつを。麦の香ばしさが素晴らしい……。安いのも飲むと味の深さがよくわかる。

山猿 1800ml

山猿 1800ml

 

https://www.instagram.com/p/BdKd5zchqun/

#焼酎探訪 柳田酒造 / 青鹿毛 うーむ、すごい……。栗田さんなら「芳ばしい大麦の香りが口のなかに広がっていくわ〜」というだろうし、大原社主なら「うむ、それでいてちっともアルコール臭いところがない。自然な甘みと濃厚さだ」というだろう。そして、谷村部長が重ねて「蒸留酒は糖類がないと聞いたが、甘みを感じるとはどういうことなんだ、山岡くん」という。まずはトワイスアップで。

麦焼酎 青鹿毛(あおかげ) 720ml

麦焼酎 青鹿毛(あおかげ) 720ml

 

 

本と豊かさについて

https://www.instagram.com/p/Bcy8G5EB1vO/

生後5ヶ月を超えた。いままでまったく反応がなかった一人遊び用のおもちゃに手を伸ばすようになったり、お腹が空くと口からとめどなくヨダレを流すようになったりしている。妻によれば、もうすぐ離乳食をはじめる、ということだ。ヨダレはその準備が整ったサインらしい。

ぐりとぐらのおきゃくさま (ぐりとぐらの絵本)

ぐりとぐらのおきゃくさま (ぐりとぐらの絵本)

 

クリスマスには絵本を買ってあげた。「ぐりとぐら」は3歳ぐらいのこども向けのシリーズだから息子には、まだまだ全然早いのだが、福音館書店の子供向け絵本のガイドには「はじめはわかるとかわかんないとかじゃなく、本は面白いんだよ、っていうことを伝えるのが大切」と書いてあった。要するに、親が楽しんで読んで聞かせられるようなものを買え、ということと理解している。

本屋をでた瞬間に思い浮かんだのは「買わなくても良いんじゃないか、図書館で良いんじゃないか」という疑問であった。幸い近くに図書館もあるわけだし。こないだの日記を読んだ人から「子供のものはレンタルで済ませる」、「いらなくなった人から譲ってもらう」という声をいただいたのを思い出しもする。一理ある。そのほうが合理的であるようにも思う。本を買う金を別なところにまわせるわけだし。

歩きながら考えた。そして「本が家にあること、ってひとつの豊かさの象徴だよな」ということに改めて気づいたのだった。学生時代の講義にでてきた社会学者のブルデューが似たようなことを書いていた気がする。家に本を買うお金があること、家に本を置く場所があること。余裕、スペースがなければ、本は買えないのである。それゆえ「本が家にある家は豊かだ」と言える。本の買いすぎで貧乏になるケースはさておき。

息子を貧しい環境で育てたくない。だから本は買っていくゾ、と心に決めた。今日はそういう日。でも、俺が大好きな「本を買う」というフェティッシュな行為の正当化に過ぎないかもしれない。

オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

 

ここ数年、寝る直前、ギリギリまで本を読む生活が続いているのだが、そういうときに読むのは大抵「面白すぎず、ともすれば、ちょっと退屈なもの」をセレクトする。そういう気持ちで、ずいぶん昔に古本屋で買い求めた『ルバイヤート』を読み始めたのだが、これはその寝るまえに読むものとしてベストな部類の本かもしれない。11世紀ペルシャの詩人が書いた四行詩を集めた本。

19世紀後半のイギリスにおいて、ラファエル前派の芸術家たちからも賞賛を受けたその内容とは徹底した現世主義であり、とてもイスラームの終末論とは相容れない。破戒的である。

いま生きている瞬間の儚さ、そして、その儚い瞬間を全力で楽しもうではないか、旨い酒があったらなんで飲まないんだ、良い女がいたらなぜアレしないんだ、でも、その楽しみは儚い、儚いからこそ、全力でやろうぜ、的なことが歌われている。変な言い方をすれば「あいだみつを」みたいな感じでもあるのだが、すごく良い。

これは翻訳の素晴らしさもある。解説のなかでアラビア語の詩のリズムと日本語をどう対応させたか、というテクニカルな説明もあるのだが、まずは、書いてある日本語を口に出して、できればヒップホップっぽく、適当に思い浮かんだ、ラッパーが発生するリズムで読み上げてほしい。私の場合、そこで思い浮かんだのは環ROYだったのだが、彼の気分で目に入ってきた文章を読んでたら、めちゃくちゃにハマって、最高に音楽的で、最高にカッコ良かった。

ルバイヤート、と言えば、甲州を使ったこのワインは美味しい。

高橋ユキ 『暴走老人・犯罪劇場』

暴走老人・犯罪劇場 (新書y)

暴走老人・犯罪劇場 (新書y)

 

傍聴ライター、高橋ユキさんの新刊。凶悪犯罪で裁かれる「アウト老(アウトロー。要するに高齢の犯罪者だ)」たちを追う。高橋さんの記事はよくネットで読ませていただいるのだけれど「そこに注目する?!」とか「そのツッコミ最高」とか思わされて、そのセンスに毎回脱帽してしまう。本書も高橋さんの目の付けどころが最強に最高だし、大変面白く読んだ。裁判の傍聴マニアがいることをわたしはほとんど高橋さんの文章を経由してしかしらないが、傍聴のために早起きして並んだり、遠出したりする情熱をかけられるエキサイティングな趣味なんだろうな、と推察できる。

ここで取り上げられているアウト老の多くが金銭的なトラブルをきっかけに殺人や放火を犯し、そして裁判では「覚えていない」とか「忘れちゃった」とか老いアピールでうまいことその場を凌ごうとしたりしている。裁判所という舞台で極端に「年をとってアレになってしまった人」の個性が発揮されまくってしまっている。

とはいえ、ここに出てくるアウト老たちは「遠い世界にいる理解しえない他人」ではない。50歳オーヴァーの人たちと接していると、ものすごく被害妄想が強い人や、普段は温厚なのにいきなり怒りが沸点に達してまわりを困惑させる人に出会ったりする。それゆえに、日常の延長線上に、本書のアウト老たちがいるような気がしてならない。そして、そうした老人に自分もなりえなくはないことに恐ろしさを感じてしまう。

また本書を読みながら思い出したのは、昔読んだ『イェルサレムアイヒマン』のこと。

sekibang.blogspot.jp

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筆者が、経営しているコンビニに強盗を装って押し入り、因縁がある従業員を刺殺したオッサンと手紙をやりとりをした、というくだり。そのオッサンは「コンビニの弁当に使われている添加物は人体に悪いんじゃないか、その危険性を社会に広く知らせてくれ!」と嘆願してくるのである。殺人を犯した人物からこのような願いをめちゃくちゃにアピールされて筆者は困惑する。この困惑が実に「アイヒマン」的だな、と。

アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。

なお、蛇足的な説明だが、アイヒマンは、第二次世界大戦中のドイツで、ユダヤ人を強制収容所に移送する「業務」の責任者を担っていた人物。

出村和彦 『アウグスティヌス: 「心」の哲学者』

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

アウグスティヌス――「心」の哲学者 (岩波新書)

 

引き続き「アウグスティヌス強化月間」的な流れで岩波から最近でたばかりの新書を。いま一番新しいアウグスティヌス関連本、なのかな。著者はアウグスティヌスの大権威ピーター・ブラウンによる彼の伝記の翻訳者。サブタイトルにあるとおり、西洋哲学のなかではじめて意思を問題化した思想家としてアウグスティヌスをとりあげている。彼がどんな生涯を送ったのか、どんな業績があったのかをダイジェスト的に知るには良い本。というか、いま日本語で読めるものではこれ以外に選択肢なし、というのが実際か。文献案内も親切だ。

とはいえ、ダイジェストがダイジェスト過ぎて「この本をとっかかりとして、どう深く読んでいくか」みたいなところがよくわからない感じがした。新書だから、そこまで求めるのは御門違いも良いところ、ではあるけれども。思想の内容的な掘り下げよりも、アウグスティヌスが生きた時代に関する記述の方が充実しているような気もする。古代末期の歴史記述に出会うこと自体が稀なので、それはそれで有用ではあるのだが……。

関連エントリ

 

 

檀一雄 『檀流クッキング』

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)

メロウ番長、tmymさんが 紹介していた岩手県盛岡市の古本屋さんBOOKNERDさんのインスタで紹介されていた。「勉強家」であり「料理をしないシェフ(=料理本は好んで読むが、料理はあまりしない)」を標榜するわたしであるから、いずれは読むであろう「名著」であったのだが、きっかけを与えてもらえた感じ。とても良い本。こういうきっかけがインターネット上で生まれるのはとても嬉しいこと。

子供の頃に母が出奔、それから一家の料理番を担ってきた、という小説家が書いた料理に関する文章。産経新聞上でこの連載がはじまったのが1969年だという。世界中のあちこちで食べてきた料理を紹介しており、言うなれば「食のコスモポリタン」的なアティテュードが本書にはある。情報の早さとホンモノ度は、伊丹十三のそれに勝るとも劣らないレヴェルだと言えよう。いくつかのページに付箋をはって、食材の旬が来たら作ってみようかな、と思いながら読んだ。

珍しい食材、あまり食べられていない食材、あるいは逆にありふれた食材をどうにかする。そのとき、メインとなる食材は(本書で多用される言葉をもちいるならば)「きばって」買い込む。面白いのは、それを調理するときの調味料やダシをとるときに「○○がなかったら××でも△△でもかまわない」と書いてしまうところだ。

人によってこれは「いい加減」、あるいは「豪快」とも捉えられようが、料理の基本が備わっている人にしか書けないことがらだと思う。××でも△△でもかまわないけれど、なんでもいいわけではない。こういうのは、美味しく仕上がるための勘所がわかっている人にしかわからない。そういう意味で、檀一雄の料理って、料理人的ではなく、主婦的であると思った。食材の運用のセンスが感じられる、というか。

育児は消費

https://www.instagram.com/p/Bb8_qY7hETc/

先月初めて息子をつれて福島まで帰省した。実家には父と母と祖母(息子にとっては祖父母と曽祖母)がいて、ずっとだれかにかまってもらっていたせいか、2泊して自宅に帰ってきたら、急に声が大きくなったり、発音できる音の種類が増えたりして驚いた。寝返りもする。

つくづく育児は消費だな、と感じている。以下に息子が生まれてから買ったものを思い出せる限り記してみる(紙おむつとかおしりふきだとかの消耗品や子供服以外のもの)。 

チュチュベビー 鼻水キュートル 2WAYタイプ

チュチュベビー 鼻水キュートル 2WAYタイプ

 
チュチュベビー デンティスター1 授乳期用 0ヶ月~6ヵ月頃

チュチュベビー デンティスター1 授乳期用 0ヶ月~6ヵ月頃

 
6WAYジムにへんしんメリー

6WAYジムにへんしんメリー

 
HashkuDe(ハッシュクード) 洗える授乳クッション ポルカドット ネイビー
 
オーボール ベーシック

オーボール ベーシック

 

こんなにバカスカと買い物している時期がこれまでにあっただろうか。妻と一緒に暮らしはじめたときも一人暮らしで使ってた家電をそのまま使っていたし、マンションを買ってからも家具は結構じっくりと揃えていった。それと比べると《狂騒の20年代》ぐらいのテンションでモノを買いまくっている気がする。

人からすすめられて買ったものもあれば、便利だと聞いて買ったものもある。買ったけどまったく使わなかったものもある。オーボールなんかは、他所の家の子供がもっていたのをさんざん目にしてきていて「ベビーカーについているよくわかんないアレ」ぐらいの認識だったのが「自分が買う立場になっている!」などとやや感慨深くなった。

このなかには、もしなかったとしても育児がまったく成り立たないものも含まれている。あえてラカン的に言えば、他者の欲望によって突き動かされている感じがしないでもない。さらに言えば、資本主義に完全に組み込まれている。育児で必要になったから購入する、のではなく、育児にはこういうものが必要なんですよ、とプログラムされているこの感覚。

「エルゴにするのか、ビョルンにするのか」などの問題は我が家でも悩んだけれども、これだって必要よりも先に悩みが発生する感じであった気がし、育児文化産業(これはホルクハイマー & アドルノだが)によって支配されているのだ、俺は、と思った。

ただ、それが嫌なわけではなくて。むしろ、わたしは物を買うのが大好きな消費人間だから喜んで買ってしまう。また、息子のためにお金を使ってあげる。これがなかなか楽しいものなのだった。父ちゃん、頑張って働くよ、という気持ちにもなる。労働意欲が消費によってドライヴされる。資本主義の奴隷、消費は麻薬。